妄想

2009年7月20日 (月)

ピンクのモーツァルト3

昨日は聖子ちゃん、仙台だったのか。

長くなりましたが完結編です。

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彼女は毎日何時間かはピアノを弾いていた。家の中にばかりいて外出することはなかったので、僕が連れ出して海岸を少し歩いてみた。彼女が着ている白い生地の夏服は、シゲさんが彼女のためにミシンを踏んだものだった。「ずいぶん久しぶりに作ったもんだから、今の若い人に合うかどうか。」なんてシゲさんは言ったけれど、彼女はその時本当にうれしそうな顔をしていた。

「君のピアノは僕だけが独占していてはいけない。世の中のみんなに聴かせてあげなくちゃいけないと思うんだ。」砂浜を歩きながら僕が言うと、彼女は何も言わずに僕の目を見つめた。

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夏が終わろうとしていた。
僕は都内のレコード会社のスタジオで知り合いのディレクターと会っていた。元々依頼を受けていた仕事、「安眠のための音楽」とか「目覚めさわやかクラシック」とかそいういう企画物CDだが、その打ち合わせなどをした後、僕はこの前の録音テープを取り出した。
「僕のオリジナル曲なんだけどちょっと聞いてくれないかな。」
「いいけど、君のは一般受けしないからなあ。」
と言いながら彼はテープをデッキに入れて回し始めた。
「ん?これ演奏は君じゃないだろ。」
「いや、僕も随分練習したんだ。」
「おいおい、冗談はやめてくれよ。」彼は真剣な表情に変って聞いていた。
「良い曲だな。特に最後のところの盛り上げ方がいいな。斬新だ。」
僕は種明かしして、我が家にいる天才ピアニストの話をした。
「で、これ君のところでCDにできないかな。」
「面白いかもしれないな。このテープはもらってていいんだろ。検討してみるよ。ただ・・」
「何だい」
「ん、ああ。この音色は前にどこかで聞いたことがあるような気がするんだが思い出せないんだ。いや、とにかく検討してみるよ。ひょっとしたらこいつは当たるかも知れない。この曲、タイトルは?」
「イヴのテーマ、だ。」

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帰ってきて、彼女にレコード会社の話をした。
「もしかしたら君のピアノ、CDを出せるかもしれないよ。」
「そうなんですか。わたしの演奏が・・」

「この前の曲とそれから僕のオリジナル曲を何曲か入れて、あとはスタンダードな名曲を入れるか、他の作曲家の先生のにするか、その辺はレコード会社の企画次第だけど。」ディレクターの反応が良かったので、もっぱら僕の方が興奮してしまっていたのだろう。僕は彼女が喜んでくれるのを期待していた。だが、彼女の表情は晴れなかった。

「そういえばディレクターが気になる事を言ってたなあ。君と同じ弾き方のピアノを前に聴いたことがあるっていうんだ。彼が調べてくれれば、もしかしたら君の失くした記憶の手がかりもつかめるかもしれないね。」僕がそういうと彼女は笑顔を作って見せた。

その夜は月が明るかった。
ベッドに入って灯りを消してもカーテンを通して月の光がもれ入ってきていた。CDの件は僕が先走りすぎたのだろうかとか、あれこれ考えると寝付けなかった。
そっとドアを開けて部屋に白い人影が入ってきた。月灯りで、白いローブを着た彼女であることはすぐにわかったが、僕は声はかけずに眠っている振りをしていた。
彼女はベッドの僕のところに近寄り、身をかがめて僕の唇に口づけた。
その時に僕の顔に濡れた感触を感じた。僕は目を開けて彼女の顔にそっと手を伸ばした。彼女の瞳が涙で濡れているのがわかった。
僕は彼女の背中に手を回して彼女の身体を抱きよせ、もう一度僕から彼女の唇にキスをした。彼女の身体は折れそうに細く、溶けてしまいそうに柔らかかった。

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朝に目覚めた時には僕のベッドに彼女の姿はなかった。先に起きて自分の部屋に戻ったのだろうと思い、着替えて居間に行った。シゲさんが朝食の支度をしていた。
昨夜のことをシゲさんに知られたら気まずいな、と思い僕は何気ない素振りで聞いてみた。
「イヴはまだ寝てるのかい。」
「あら、今朝は遅いですねえ。坊ちゃん起こしてきて下さいよ。もう朝ご飯できちゃいますから。」
彼女の部屋に行こうとして、ピアノのところを通った時に、手紙がおいてあるのが見えた。封筒の表には僕の名前が書いてあった。胸騒ぎがして急いで中を見た。

私は悪い女です。
私はある目的のためにあなたのところに来ました。それはとても良くないことでした。
でも、あなたは私にとても優しくしてくれました。
私はあなたの曲が大好きになりました。そしてあなたが大好きになりました。
でも私のような悪い女にはそんなことは許されません。
私はここにいませんでした。
私のことは全て忘れて下さい。ありがとう。
さようなら。               イヴ

彼女の部屋を開けてみたが、もうそこに彼女の姿はなかった。彼女のために買った洋服やいろんなものは全て残されていた。夏服一枚だけを着て出て行ったようだった。
僕は呆然として居間に戻り、シゲさんに彼女の手紙を見せた。
シゲさんは手紙を読んだ後首を横に振った。
「あの子は、いい子でしたよ。坊ちゃん、あの子はとてもいい子でしたよ。」
そう言うとシゲさんは涙を流した。
わかってるよ、シゲさん。
大丈夫、僕はたとえ何年かかろうと彼女を見つけ出す。
きっとまた逢えるさ。

(おしまい)

2009年7月18日 (土)

ピンクのモーツァルト2

いよいよ夏到来でしょうか。ピンクのモーツァルトのはずがなぜか日野皓正のトランペットも聞こえてきたみたいです。

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ピアノを弾くようになってから、彼女は目に見えて明るい感情を取り戻したようだった。台所から笑い声が聞こえてきたのに引かれて僕が行ってみると、シゲさんと彼女が一緒に料理を作っていた。彼女が包丁を握っているのを見て、僕は内心指でも怪我をしやしないかとちょっと心配になった。ただの指ではない。天才ピアニストの指なのだ。
しかしそんな心配をよそに、彼女はシゲさんに料理を教えてもらうのが楽しくてしょうがないといった風だった。シゲさんもまたまんざらでもない様子だった。知らない人が見たら、まるで仲のいい若妻とお姑さんに見えただろう。若妻?そう、僕はそんなことを考えていたのだ。
「今日は何を食わしてくれるんだい?」二人に聞くと、男は厨房に入って来ないでとばかり、笑いながら追い出された。

ある日、例の巨匠監督が我が家に打ち合わせと称してやってきた。打ち合わせだったら都内のスタジオでもいいようなものだが、監督はシゲさんの作る料理が目当てなのだ。その日もスタッフ数人とやって来ると、いつものように打ち合わせもそこそこに宴会になった。シゲさんを手伝って料理を運んだりしている彼女の姿は当然監督の目にとまった。気の置けない監督だから、ことの成行きをそのまま話した。
「それにしても、名前がないんやったら不便でしゃあないやろ。
そうやなあ、とりあえずイヴちゃんでどないや。アダムとイブのイヴや。イメージぴったりやろ。」
彼女もこれにはさすがに困ったような表情をしていたが、結局その後は彼女の呼び名はなんとなくイヴになってしまった。
「イヴちゃん、どうや、映画に出てみる気、ないか?」
監督が本気になりそうだったので、さすがに僕はあわてた。
「ああ、シゲさん台所のほうで忙しいんじゃないかな。行ってあげないと。」
しかし食事の後で、彼女のピアノを聞いてもらうと、さすがに監督も彼女を女優にするのはあきらめたみたいだった。

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暑い夏だった。
僕が外出して戻ってくると、シゲさんと彼女が二人揃って着物姿で迎えてくれた。シゲさんは普段から時々着物を着ているから珍しいわけではないが、彼女が着ているほうの着物は、若々しい薄いピンク色の絽の着物だった。
「坊ちゃん、この着物わかりますか。」
そう言われるとその着物に何だか見覚えがあるような気がした。
「夏子お嬢さんは亡くなった奥様の着物なんて全然見向きもなさらなくて。ずっとあたくしがお預かりしてたんですよ。」
母は僕が小学生の時に亡くなった。身体は弱かったようだが、いつも笑顔の明るい人だった。今僕のところにあるピアノも、もともとは母が弾いていたものだった。夏に着ていた絽の着物も朧げなイメージが残っている。それにしてもシゲさんがそんなものを大事に取っていたなんて、今までまったく知らなかった。
「ごめんなさい。わたし、お母様のお着物だったなんて知らなくて。」それまでにこにこしていた彼女は僕とシゲさんの話を聞いて急に困ったような表情になった。
「いや、いいんだよ。着物だって誰かに着てもらって風でも通したほうがいいんだろ。ねえ、シゲさん。」
「ええ、そうですとも。それにしても奥様の着物、ほんとうにこの娘にぴったりであたくしも驚いたんですよ。」
母の着物は彼女にとてもよく似合っていた。
「今日は着物美人二人で僕は両手に花だね。」
「そうでしょうとも。御花代でも頂かなくっちゃ。」シゲさんの言葉で大笑いになった。

夜に珍しく兄から電話があった。
「おまえ、家に素性のわからない女を置いてるそうじゃないか。」
兄とは別に仲が悪いわけでもないのだが、年が離れているせいもあって、いつも頭ごなしな物言いをされるので、こちらもつい素直になれないところがある。
「兄さんには関係ないじゃないか。」
「兄弟なんだ、関係ないわけないだろう。それにな、何かあれば会社のほうにも影響があるんだ。」
「僕は兄さんの会社とはそれこそもう関係ないだろう。株だって持ってないんだし。」
「創業家の一家にスキャンダルでもあれば、世間は面白がっていろいろ言うんだ。それにな、そういうのをネタにゆすりまがいの事を言ってくる変なマスコミ崩れみたいな奴らもいるんだ。」
「そんなのが兄さんのところに来たのかい。」
「まあ、今度の話はまだそういうわけじゃないが、お前も気を付けてくれと言ってるんだ。大体お前がいい歳をして独り身なのが心配なんだよ。おれとか夏子の見合いの話を考えたらどうなんだ。」
「それこそほっといてくれよ。彼女だって別にそういうんじゃないんだ。」
兄にそんなご注進をしたのが誰なのか見当がつかなかった。シゲさんも監督も兄に告げ口するとは考えられなかった。
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僕は注文を受けての作曲・編曲の他に、時間がある時は自分のオリジナルの曲を書いている。オリジナルと言ったって名前の売れてない僕の場合、特に発表するあてもないのだが、それでも自分の仕事として何か作りたいという気持ちはまだ持っている。
その日もピアノに向ってずっと温めていたモチーフを仕上げようとしていた。かなり気に入った主旋律ができたので何とか完成させたかったのだが、最後の部分がどうも気にいらなかった。どうも小さくきれいにまとめ過ぎたのか、もうひとつ力強さや生命力が足りないような気がしていた。一通り書き上げた譜面をにらんでピアノの前で煮詰まっていた。
彼女が紅茶を持ってきてくれて、僕の前の譜面を見つけた。
「これあなたが作曲したの。」
「ああ、まだ完成じゃないんだけど。」
「わたし弾いてみていい?」
彼女は譜面をしばらく読んでいた後、弾き始めた。同じ曲でも僕が弾くのと彼女が弾くのとではこんなに違うのか、と半分嫉妬にも似た気持ちで聴いていた。自分の曲と思えないほどに生き生きした音楽が響いた。
そして問題の箇所に差しかかった。
彼女は僕の譜面とは違う旋律を弾き始めた。それは僕が思いもつかなかった飛躍だった。躍動感ときらめきに満ちた盛り上がり、そしてそれでいてそれまでの僕の旋律を全く殺していなかった。
最後の数小節で僕の楽譜に戻り、最終音の余韻を長く響かせて彼女の演奏は終わった。
「ごめんなさい。途中からわたし譜面と違うように弾いてしまって。本当にご免なさい。」
「いいんだ。君のの方が全然良い。もう一回同じように弾けるかい?」
彼女が頷くと僕は録音機のスイッチを押した。

(まだ続きます)

2009年7月12日 (日)

ピンクのモーツァルト1

♪ビッグウェーブが弾けたら 華やかな九月♪

まだ七月、梅雨明け前ですが、今回の妄想は九月に間に合うのやら・・・

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その頃、僕はなぜか夜明け前に目がさめてしまうことが多く、家のすぐ前の海岸を散歩するのが日課のようになってしまっていた。このあたりの海岸は白い砂浜が続いていて、人気のない時間帯に波打ち際を砂の感触を確かめながらゆっくり歩くのは気持ちが良かった。
その朝もまた薄明の頃には目が覚めてしまい、パーカーを一枚羽織って素足にキャンバス地のデッキシューズをつっかけると、ばあやのシゲさんを起こさないように静かに外に出た。
我が家はほとんど直接海に面しているというような立地なので、ゆるやかなスロープを少し下っていくとすぐに砂浜に出る。波打ち際に何か見慣れないものが落ちているのが見えた。どうも人が横になっているようだった。ここは海水浴場ではないし、もちろんまだ甲羅干しの人がいるような時間帯でもない。胸騒ぎを覚えながらそばに寄って行った。
倒れているのは若い女性だった。淡いピンク色のスリップのような服を身に付けていて、足許は裸足だった。髪も身体もすっかり水に濡れている。目を閉じて眠っているようにも見えた。最初に彼女の口元に顔を近づけて呼吸を確かめた。寝息のように弱々しいが、確かに息はあるのを確認すると少しほっとした。
あらためてその人の姿を眺めた。肩や腕、覗いている足の肌の色がなまめかしく白かった。髪は都会的に短くカットしたスタイルで、眉もきれいにそろえられていた。目を閉じた顔は絵画のように美しかった。
普通なら誰か助けを呼びに行くべきところだったのだろうが、僕は彼女の上体を抱き起こすと、なぜか吸い寄せられるように彼女の唇に口づけていた。身体も唇も冷たく冷え切っているのがわかった。
自分が何をしているのか気付いてはっとして唇を離した。彼女がゆっくり目を開けた。ぼんやりとした視線で僕の顔を見ると、驚くでもなく笑うのでなく、それでも何かを訴えるような表情を僕に投げかけた。
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救急車か警察でも呼ぶべきだったのだろうが、僕は彼女を抱き起こすと背中におぶって自分の家に向かった。結局シゲさんは起こさざるを得なかった。シゲさんのたまげ方と言ったら・・・

それでもシゲさんが彼女をお風呂に入れたり着替えさせたりしてくれて、彼女を客間のベッドに落ち着かせることができた。
いつもかかりつけの先生に往診を頼んで診てもらった。

彼女は口が利けないわけではないようだった。問いかけに対して短い単語で答えが返ってくることもあった。しかしまだ込み入った話はできそうになかった。自分の名前も思い出さないのか、激しく首を降った。何か大きな精神的苦痛を受けたためかと思われた。
「身体のほうは衰弱はしてるけど、怪我もなさそうだし、安静にしてれば大丈夫でしょう。」そう言って先生は帰って行った。

「坊ちゃん、あたしは反対ですよ。あの娘をここにおいとくのは。」
シゲさんは未だに僕のことを坊ちゃんだ。これでも、もう30過ぎてるんだぜ。
「だけど、今のあの様子じゃ放り出すわけにもいかないだろう。警察に渡すってのもあんまり人情がない話じゃないか。もう少し元気になるまで少しの間だよ。いいじゃないか、家は部屋だけは余ってるんだ。」
シゲさんもしぶしぶ承知してくれた。
そうこの家は部屋だけは確かに余ってる。海辺に立つこの古びた洋館、広さは僕とシゲさんの二人だけの暮らしには持て余すほどに広い。

この建物はもともと祖父の代からの海辺の別荘だった。親父が亡くなった時に、僕は望んでこの家だけを相続した。親父の会社や都内の家は全て長男の兄貴が引き継いだ。既に他家に嫁いでいた姉は、証券や都内の不動産といったもっぱら「金目」のものだけを持って行った。僕は親父の(今は兄貴の、だ)会社にも興味がなかったし、兄弟で相続でもめたりするのも嫌だった。ああ、でも僕が引き継いだものがもう一つあった。シゲさんは僕が海辺の洋館で一人暮らしなんてとても無理だと行って、僕のところに来てくれた。

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彼女は数日すると起き上がって生活できるようになった。食事も僕とシゲさんと同じテーブルで取れるようになった。しかし、自分の名前や倒れていた事情になると相変わらず首を振るだけで、依然謎のままだった。

我が家には当然だが若い女性の服などあるはずもなく、さしあたってシゲさんの服や僕のシャツなんかを着てもらっていた。そんな格好でも彼女が着るとお洒落なファッションのように見えるのが不思議だった。しかし彼女の表情は氷に閉ざされているようで、ほとんど感情を表さなかった。

僕は仕事は「音楽家」ということになっている。実際は作曲と編曲が半々ぐらい。テレビや映画の仕事がほとんどだ。注文をもらって、それに適当に音楽を付ける。予算がある仕事だと譜面を書いてオーケストラなんかにやってもらうが、予算のない仕事だと自分でシンセサイザーやピアノで演奏したりもする。演奏家ではないので、大半は家で仕事をしている。

映画とは言ったが、いわゆる大作は僕みたいな無名のところには来ない。一番多いのはポルノ映画の仕事だ。「扇情的に」とか「気怠い雰囲気で」とかいう大雑把な指示に沿って音楽を乗せる。

「いや、ぼんの音楽はほんまに天才的ですわ。キダタローが浪速のモーツァルトやったら、ぼんはピンクのモーツァルトやな。」

こういうよくわからない褒め方をしてくれるのは、そのポルノ映画の巨匠といわれる監督。ほめられて悪い気はしないが、この人も僕を「ぼん」呼ばわり。僕の親父が若かった頃、親父のもとで書生のようなことをしていたせいで、今となっても僕は「ぼん」らしい。もっとも僕が巨匠から仕事がもらえるのもそのおかげなのだろうが。監督は映画通の間では「鬼才」とその才能を評価されながら、いわゆる普通の映画は頑として撮らないらしい。僕も一度聞いてみたことがあるのだが、「そら若い女の娘の裸が見られん映画やったら、撮ってて一個もおもろいことあらへんがな。」という答えだった。

彼女が家に来て一週間ほどした日、僕はピアノを弾きながら、「巨匠」の映画に付ける音楽の譜面を書いていた。ふと気がつくとそばに彼女が来ていた。

「ピアノ」とつぶやく彼女の表情は、今まで見たことがないほど明るく輝いていた。

「ピアノ、弾きたい。」と彼女が言い、僕は彼女をグランドピアノの前に座らせた。

モーツァルトだった。暗譜しているらしく、完璧だった。しかしそれ以上に驚いたのは、彼女が鍵盤で紡ぎ出す音色だった。一音一音が粒だってきらめくようだった。例えばコンクールで優勝するようなテクニックに優れたピアニストでも、こんなに色彩豊かで生命力にあふれる音を出せる人はめったにいないものだ。

彼女が一曲弾き終えてにっこり微笑むと、僕は思わず拍手していた。

(つづく)

2009年5月31日 (日)

ピーチ・シャーベット

「ピーチ・シャーベット」はなんでピーチなんでしょうか。オレンジやグレープでは語呂が悪いのかもしれませんが、桃ってやっぱりちょっとエロティックな感じがあるんじゃないかと思います。またまた妄想が・・・
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その日、僕はいつものスポーツクラブのプールに泳ぎに来ていた。部屋の片づけやら洗濯をすませた後、プールに来て3kmを泳いでその後のビールの分のカロリーを予め消費しておく。それがいつもの僕の休日の過ごし方だ。独身で彼女もいない僕には後はこれと言った用事もない。
この日もいつも通りゆっくり3km泳いで、ほっとけば出て来ようとするお腹と戦った後、プールから上がった僕は声をかけられた。

「原田くん?原田くんでしょ。」
声 のほうを振り向くと、若い女性だった。ほっそりした水着のシルエット、張りのある白い肌、どうみても僕より一回りは若そうな子だが、残念ながら僕にはそんな知り合いはまったく思いあたらない。うちの職場にはそんな年代の子はいないし、キャバクラとかにも行かないし。しかし向こうは僕の名前を確かに知っているようだ。
「わたしよ。のりこ。ほら、高校の同じクラスの。」
言われて気がついた。確かに彼女の顔には高校の頃よりはずっと すっきりした感じにはなっているが、同級生の のりちゃんの面影が残っている。それにしても、若すぎる。当然僕と同じ年齢だからもう四捨五入すれば四十のはずだが、スイミングキャップの彼女の素顔は20代半ばぐらいにしか見えない。
「君もここの会員だったの。びっくりしたよ。」
「うん、わたし最近入会したばかりだから。プールも今日初めてなのよ。
でもほんとに久しぶりね。ねえ、どこかでお茶しない。」

スポーツクラブのビルの1階がカフェになっていて、普段はここで最初の1杯目のビールを飲んだりしている。オープンカフェもあるが、8月の午後、さすがに外の日射しは遠慮して、中の窓際のテーブルに席を取った。
待っていると、しばらくして彼女がやってきて僕の向かいに座った。
着替えた彼女は水着の時とは違って、きちんと化粧をしていて大人っぽい印象にはなっているが、やはりどうみても自分と同じ年代には見えなかった。明るい色に染めた長い髪は柔らかにウェーブしている。女性の洋服のことは僕にはよくわからないが、やはり若々しくてそれでいて上品な感じがする。
「原田くん、卒業以来かしら。」
「うん、そうだね。でもこんなところで会うなんてね。」
「ほんと。原田くん今でも鍛えてるのね。」
「鍛えてるってほどじゃないさ。中年太りになるのをようやく押しとどめてるってとこかな。」
「でも、高校の頃の原田くんスポーツマンだったから女の子に人気あったのよ。」
「ええ?初耳だな。みんな僕のこと筋肉馬鹿とかなんとか言ってたんじゃないの。実際全然もてなかったし。」
「だって原田くん、良美と付き合ってたでしょ。だからみんな遠慮してたのよ。わたしもね。」
意外だった。良美という子は確かに幼馴染で仲のいい友達だったが、そんなつもりはなかったし、彼女もそうだと思っていた。それにしても「わたしもね」ってのは一体・・・。
のりちゃんこそ人気ものだった。クラス中の男子が内心狙っていたはずだが、彼女にはいつも彼氏の噂があって、みんな遠慮していたのだった。僕も彼女にあこがれていたが、告白する勇気がなかった。
「良美ちゃんなんてどうしてるんだろう。知ってる?」
「あら、原田くんほんとに知らないの?冷たーい。
彼女幸せよ。素敵な旦那さまと子供たちがいて。今はパリに駐在って聞いたけど。原田くんを選ばなくて良かったみたいね。」
「やれやれ、僕はいつのまにか振られたわけか。」
二人で大笑いになったところに彼女が頼んだピーチ・シャーベットが来た。

「わたしね、ピーチなんとかって見るとつい頼んじゃうの。」
彼女が言ってる意味はすぐわかった。僕らの郷里、同じ高校ですごした町は桃が名産だった。というより桃以外にはこれという何もないところだった。
「原田くん、帰ったりしてるの?」
「いや、うちは親も兄貴のところに行っちゃったから、向こうには誰もいないんだ。」
「そうなの。わたしもずっと帰ってない。だからピーチ・シャーベットでもなつかしい気がするの。変よね、桃なんてほとんど入ってないのに。」彼女はシャーベットを口に運びながらそんなことを言った。
「桃の花の季節はきれいだったわね。山の雪がまだ白くって。」僕はつい彼女の唇に見とれていた。

その後、話はクラスメートの消息などで盛り上がった。僕の知らなかったクラスメート同士が意外なカップルになっていたりして、話は尽きなかった。ただ、お互い自分自身の話はなんとなく避けているような感じだった。

「今日、原田くんに会えてよかった。いろんな話できて楽しかった。ありがとう。」
「またプールに来る?」
「ええ、多分」
僕はちょっとだけ勇気を出した。
「桃のシャンパンて知ってる?」
「え、聞いたことはあるけど。飲んだことはないわ。」
「じゃあ、今度ご馳走するよ。いい店を知ってるんだ。」
彼女が何気なくブラウスの胸のボタンを一つはずした。つい目が彼女の白いきれいな胸元に行ってしまった。そしてボタンをはずした手の薬指に目がとまった。
迂闊な男だ。彼女みたいな美女が独身でいるほうがおかしい。指輪をしてて当たり前だ。

僕がつい視線を止めてしまったのに彼女は気づき、
「あらごめんなさい。わたし暑がりだから。お行儀悪いわね。」とボタンを止めなおした。その後、僕の視線の先が指輪であるのに気づいたように、左手を右手の中に隠した。
だが、すぐに手を広げて左手の甲を自分のほうに向けて指輪を眺めながら、彼女は寂しげな笑みを浮かべた。
「この指輪、もうすぐいらなくなるの。でも今はまだ外したくないの。」

彼女はちょっと何かを考えるような間の後、明るい笑顔を見せた。
「桃のシャンパン、楽しみにしてるわね。」

外に出ると太陽はまだ高いところにあった。青い空に大きな入道雲が見えた。
(おしまい)

2009年5月13日 (水)

マイアミ午前5時 その2

♪萌える男の〜赤いスイートピー〜それがお前だぜ〜

失礼しました。

このアホブログも100回目の更新になりました。

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その夏、おれは午後になるとほとんど毎日彼女と会っていた。柄にもなく彼女に合わせて自転車に乗ったりもした。
離山の下の森の小路を自転車で走ると、体中が緑に染まりそうな気がした。木漏れ日のまぶしさが気持ち良かった。彼女が言ってたように、きれいなものはとても身近にあるのかもしれない。

気がつくと、普段は行かない旧軽の聖パウロカトリック教会の前だった。ちょうど結婚式を終えたカップルが友人たちに囲まれて出て来たところだった。

「素敵ね。」のりちゃんはため息をつくようにつぶやいたが、なぜかその横顔は寂しそうに見えた。

「ねえ、明日の朝あなたのレタス畑にスケッチに行っていい?」
「え、そりゃかまわないけど、朝は忙しいから相手はしてやれないよ。」
彼女とそんな会話をした翌日、おれはちょっと寝過ごしてしまった。親父はもう先に出ていた。くそっ、またぶつぶつ小言を言われる。
「朝寝坊か。いい身分だな。」畑に出ると案の定だ。
「毎日東京のお嬢ちゃんと遊んでりゃ、朝は眠いよな。だいたいこんな仕事馬鹿らしくてやってられんだろ。」
俺も頭に血が上り思わず大声になった。
「ああそうだよ。馬鹿馬鹿しくてやってらんねえよ。俺だってこんなレタス畑なんかなきゃとっくに東京に行ってるんだ。」

ふと気がつくと畑の脇の道路から彼女が見ていた。おれが気付いたのを見ると小さく手を振って、何も言わずに自転車に乗って行ってしまった。

その日の夕暮れ、彼女を誘っておれは旧碓氷峠の狭い山道を車で登って行った。

長野県の何やらうるさい条例があるとかで、軽井沢にはラブ・ホテルというのが一軒もない。それで必要な連中は県境の碓氷峠を越えて群馬県まで出かけてるらしい。おれものりちゃんを車に乗せるたびに、このまま18号を下って行きたいと何度思ったことか。そう、ほんとに行ってしまえば良かった。だけど、なぜだかいつも峠を越えることができなかった。
「今朝、お父様とけんかしてたの。」
「ああ、あんなのけんかのうちに入らんさ。いつものことだ。」
「でも東京に行くとかなんとかって。」

「あれは成り行きで言っただけだ。おれは東京には行かない。」

「東京なんて電車に乗ってしまえば、あっという間よ。知ってる?長野新幹線も軽井沢を通るんでしょ。高速道路もできるって。」

知ってるさ。親父達は用地買収がどうしたとかそんな話ばかりしてる。

「この前ね、家から手紙が来たの。東京に帰ったらお見合いしろって言うのよ。いまどきお見合いなんて笑っちゃうでしょ。」のりちゃんは笑ってみせたが、おれは何も言えなかった。
狭いつづれ折りの道を登り切り、駐車場からちょっと上の展望台に歩いて行った。
峠からは夕映えの中に、上州群馬の山並みが低く幾重にも重なっているのが見えた。そしてその向こうは関東平野。無数の明かりが輝き始めるのを二人で眺めた。
「きれいね。」
「ああ」相槌を打ったものの、おれは違うことを考えていた。
夏が終われば彼女はあの無数のきらめく灯りの中に帰っていく。
そしておれは軽井沢を、レタス畑を離れられない。

夜景を眺めている彼女を背中から抱きしめた。
彼女はおれの腕の中で、おれが持っていた缶のレモネードを取り上げて一口飲んだ。その後彼女はおれのほうに向き直った。
初めてのキスはレモネードの味がした。

夏は終わろうとしていた。
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「マイアミ」に行くとヒロさんが一枚のメモ書きを寄越した。
「あしたの朝一番の電車で東京に帰ります。さようなら。のりこ」
朝はレタス畑の仕事がある。見送りには行けない。

翌朝、いつものように軽トラに乗って畑に向かう途中で気が変わった。また親父に小言を言われるがかまうもんか。

彼女の別荘には電話もなければ車も入れない。東京に帰るなら、国道沿いのマイアミまで出てきてそこの公衆電話からタクシーを呼ぶはずだ。

マイアミの駐車場に軽トラを停めると、道路の反対側に大きなトランクを持って立っているのりちゃんが見えた。午前5時の軽井沢には霧が立ちこめ、世界中が薄いブルーに染められたようだった。

おれは道を横切って彼女のところに行くと、「お待たせしました、タクシーです。」と言った。彼女は泣きそうな目をして笑うと、おれの軽トラに乗り込んだ。特急の停まる軽井沢駅までの短い時間、おれたちは何もしゃべらなかった。駅の改札を通る時に彼女は一言だけ「さよなら」と言った。

それがこの年のおれとのりちゃんの夏の終わりだった。

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そしておれは前と同じ生活に戻った。何か変わったところと言えばセリカXXのホイールを換えたのと、レタス作りが少し面白くなってきたぐらい。「マイアミ」でくすぶってエイジ達と馬鹿話をしてヒマをつぶしてる。

夏を予感させるような日差しが軽井沢に降り注ぐ午後、おれは「マイアミ」で遅い昼飯を食っていた。

ドアの開くベルの音がして、誰か入ってきた。

「ヒロさん、久しぶり。レモネード下さい。」

(おしまい)

2009年5月 8日 (金)

マイアミ午前5時 その1

久しぶりの妄想シリーズ(?)ですが、最後までまとまらないような気がします。まあ、妄想ですから・・・

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国道18号沿いにある喫茶「マイアミ」。ここがおれらのいつものたまり場だ。
マスターのヒロさんはしばらく東京で暮らしてたんだけど、親に呼び戻されて、帰ってくる条件でこの店を始めたらしい。地元でくすぶってるおれらには、あこがれの兄貴みたいな存在だ。
「ヒロさん、でもなんでマイアミなんすか?マイアミ行ったことあるんすか。」
「ねえよ。だけど、こんな山しかないところより良い感じだろ、マイアミってさ。」
でもおれはヒロさんのドン・ジョンソン風の髪型やよく着てる白いジャケットから見て、絶対マイアミ・ヴァイスだとにらんでる。さすがのヒロさんもフェラーリは乗ってないけど。
おれの車はセリカXX。地元に残ってレタス畑を手伝う条件に、親父に買ってもらった。
長野県北佐久郡軽井沢町、ここがおれらの町だ。

ヒロさんの店にたむろしてる連中はみんなおれとおんなじように、地元でくすぶってる奴らだ。勉強ができる奴とか、ちょっと気のきいた奴はみんな東京に行った。この町に残ってるおれらの楽しみは車ぐらいだ。
「なあ、夏になったら旧軽のほうに行ってナンパしようぜ。」
「ばっかじゃねえの。東京の女がおれらの長野ナンバーの国産車に乗る訳ねえべ。あそこでモテんのは品川ナンバーか横浜ナンバーのBMWって決まってんさ。」
「そうなのか。」
「ああ、こないだのホットドッグに書いてあったぞ。」
「どっかで売ってねえの、横浜ナンバー。」
いつもそんな話をして時間をつぶしてた。

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夏までもう一歩という頃、軽井沢では雨でも降ればまだ分厚い上着が欲しくなるが、晴れればきらめくような日差しが降り注ぐ。

レタス畑の仕事は早朝から収穫を始めて、午前中には農協への出荷を済ませる。朝が早いのはきついが、後はヒマになる。その日もおれは昼過ぎに「マイアミ」に顔を出した。いつもの連中は誰も来てなくて、おれはカウンターでヒロさんにコーヒーとナポリタンを頼んだ。

ドアの開くベルの音がして入り口を振り向くと、若い女の子が一人入ってきた。

白いワンピースにリボンのついたつばの広い帽子をかぶっていた。おれのほうを見てちょっとにっこりすると、一つ席を開けてカウンターに腰を下ろした。
彼女はおれの食ってるのを見て、「同じの下さい。」とナポリタンを注文した。
正解。実をいうと、マイアミでヒロさんが出す料理じゃこれが一番無難だ。メニューに載ってる創作イタリアンとかいうのは絶対にやめたほうがいい。
「ねえ、表のクルマあなたの?」
彼女がおれに話しかけてきた。うわあ。
「え、そうだけど。」
「じゃあ、あなたこの辺の人?長野ナンバーでしょ。」
「ああ、地元だけど。」
「ねえ、じゃあ自転車屋さん知らない。あたし夏休みでこの先の別荘に来たんだけど、とっても不便なんですもの。自転車ぐらいないとどこにも行けないわ。」
この先の別荘地ならおれも知ってる。昔々に分譲されたところだから、道が狭くてクルマも入れない。
「君、毎年別荘に来てるの?」
「おじいちゃまの別荘だから子供の頃はよく来てたんだけど、おじいちゃまが亡くなってからはパパもママも来なくなっちゃって。今年は大学の夏休み中、あたし一人で絵を描くことにしたの。」
「へえ、絵とか描くんだ。」
「そう、美大だから。」
カウンターの奥でヒロさんがにやついているが気にするな。
結局この日、おれは彼女をセリカXXに乗せて、中軽井沢の自転車屋まで行った。帰りは自転車に乗っていくと言い張るのをなだめて、別荘地の入り口までトランクに自転車を積んできた。ハッチバックがしまらなくてちょっと目立ったけど。誰か知ってるやつが見てなきゃいいが。。
これがこの年のおれとのりちゃんの夏の始まりだった。

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夏場のレタス農家には休日なんかない。でも午前中一杯の勝負だ。午後からは自由の身。
スタンドに給油しに行くとエイジが寄ってきた。
「おまえこの前クルマに自転車と女乗せてたろ。」あちゃー、やっぱり見てたか。
「あー、あの子なー、親戚よ親戚。夏休みなんだと。」
「嘘こけ。お前にあんな可愛いいとこいるなんて聞いたことねえぞ。誰だよあれ。」
こいつに見られたってことは、もう他のやつらみんなに広まってるってことだ。まあしかたない。この小さな町じゃどうせ秘密なんか持てっこないんだ。

「あの子はのりちゃんといって、東京の美大の女子大生で・・」

「そんなのは知ってるさ。全部ヒロさんから聞いてるで。」

ヒロさん!

この日はのりちゃんは雲場池でスケッチしてるという話だった。雲場池なんか小学校以来近寄ったことなかったけど。入り口に車を停めて池の畔に歩いて行くと、岸辺に腰を降ろしてスケッチしている彼女が見えた。
「こんな池面白いんか?」

彼女はおれの方を振り向くと、笑顔を見せた。

「見て。池の周りの樹の葉の色が一本一本全部違うでしょ。それが水に映ってる色も違うのよ。」

「ふうん、さすが美大生だな。」

「きれいなものがあんまり身近にあるとそれがわからないのよ。」

おれには雲場池の眺めよりも彼女のほうが百万倍もきれいに見えた。

おれは彼女に夢中だった。夢中だったけど、ひとつわかってることがあった。
彼女は夏が終われば東京に帰る。
そしておれはこの町、軽井沢を離れられない。

(多分つづく)

2009年3月23日 (月)

秘密の花園2

東京の桜はもう開花したんでしょうか。

続きです。

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九段下の駅でみちると落ち合ったのはもう十時近かった。靖国の方向に歩いて行くと、夜桜見物を終えて帰る人並みのほうがずっと多かった。
それでも久し振りに会ったみちるは妙ににこにこして、並んで歩き出すとおれの腕につかまるように腕をからめてきた。仕事帰りのみちるはえりの付いた白のスーツを着ていたが、それにしてもスカートは相変わらず短い。
「今年はお花見なんてできないと思ってたからうれしいの。」
そいつは良かった。

「あ、武道館。久し振りに見たわ。あたし、あのタマネギみたいのが可愛くて好きなの。」
それはよくわからん。

千鳥が淵の桜並木は満開だった。ライトアップされた桜の花が水面にも映っていた。さすがにこの時間花見の人もまばらになっていた。

「きれいね。」みちるが言いかけた途端に、ライトアップの照明が順番に消えていった。もう時間らしかった。「ああん、もうおしまいなの。残念。」

向うにボート乗り場が見えた。「あれに乗るか。」

みちるの手を引っ張って、営業を終了したボート乗り場に行った。ライトアップよりずっと早く終わるらしく、乗り場には全く人影がなかった。

「もうやってないわよ。」

「大丈夫さ。ちょっと借りよう。」

ボートは一応チェーンでロックしてあったが、旧式のいかにも開けてくれという錠が付いてた。これなら外人傭兵部隊じゃなくてもすぐはずせる。

「こういうのは得意なんだよ。南米のゲリラ戦でよく舟盗んだからな。」

二人でボートに乗り込んで千鳥が淵の水面に漕ぎ出した。

オールを持ってるおれの向かいに座ったみちるは、最初スカートを気にしてるみたいだった。確かに太ももはばっちり、その上も何だか見えそうだ。おれが太ももに目をやりながら、
「その格好で編集部で働いてるのか?」と聞くと、
「うん、作家の先生とか評論家の先生とか、この方が受けがいいのよ。みんなおじいちゃんだけど。」いや、おれも同感。

桜の花びらが水の上にところどころ花吹雪みたいに浮かんでるのを横切って進んでいった。堀の中程まで出ると、両岸の桜がライトアップとは違ってぼんやりと白い光を放っているように見えた。気がつくと月が明るい夜だった。ちょっと神秘的な感じのする眺めに、二人とも黙って見入っていた。

「なあ、チューしていいか。」

「もう!全然ムードないのね。今どきチューなんて誰も言わないわよ。」

ダメもとで言ってみたがやっぱりだめか。。

おれはみちるに話があるのを思い出した。

「しばらく中東に行くことにした。」

昔の傭兵時代の仲間が中東で死んだ。国連の平和維持活動の現地スタッフとして働いていたらしかった。酒と女が大好きでいつも冗談ばかり言ってる奴だった。そして戦場で2回おれの命を救ってくれた。日本でビールをおごる約束は果たせなくなっちまった。

あいつが中東で何をしようとしていたのか、自分の目で見に行くことにした。書きかけてた小説にけりも付けたし、連載も何とか整理した。池辺には苦労をかけたが。

みちるはおれの話を瞳を大きく開いて聞いていた。

「どのくらい行ってるの?」

「わからん。行ってみて考える。」

「いつ出発なの?」

「来週には出るよ。」

「そう。」

みちるはちょっと黙り込んだが、また口を開いた。

「ねえ、ケンちゃん。あたしに待っててほしい?あたし待ってたほうがいい?」

みちるがそんな事を言うとは思ってなかったんで、ちょっと焦った。実際どうなんだ、おれ?いや、こんな時は正直に言ったほうがいい。

「待っててくれ。必ず帰る。待っててくれ。」

みちるはまた笑顔に戻った。

「じゃあ、待ってる。キスはその時までお預けね。」

ちぇ、正直に言わないほうが良かったか。

まあいい。まだ夜は長い。おれは入り江みたいになってる奥まったほうに向かってオールを漕ぎ出した。

(おしまい)

2009年3月17日 (火)

秘密の花園1

妄想に続編があるのも妙な話ですが、世の中には夢の続きを見られる人もいるそうです。すみません、初めての方は先に「Mermaid in blue dress」をどうぞ。

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手の怪我は治ったがあの後みちるには会っていない。あの小娘、電話ひとつよこさない。いや、確かにおれに「治ったら電話して。」とは言ってたが、考えてみるとみちるの電話番号を聞いてなかったのに気がついた。まったく。。
まあ、おれも長めの取材旅行やら何やらで忙しかった。原稿に追われてるのも相変わらずだ。と言ってみちるのことを忘れたわけじゃない。いや忘れられないと言ったほうが合ってるか。夢にまで出ては来ないが。
そんなわけで、気がつくと半年ぐらい経ってしまった。ああ、あのキャバクラには一度行ったな。逆に店長にみちるのことを聞かれて困った。
「ミシェルちゃん、結構人気あったんすよ。センセイ、どこ隠してんすか、教えてくださいよ。」っておれも知らないの、ホント。
いや、一人知ってそうな奴はいる。池辺だ。あいつ、みちるに就職を紹介するとかいう話だった。だけどなあ、あいつに聞くってのもなあ。自分の愛人の居場所を担当編集者に聞くってのも妙だよな。第一あいつには弱みを握られたくないんだよな。くそっ、背に腹は代えられんか。
「池辺ちゃん、あのほら、リッツセントラルでおれが骨折した時のあの娘、みちるどうしてる?」
池辺の目が一瞬点になった。が、すぐにいつものくそ真面目な顔に戻って、
「ええ、就職先紹介しまして、そのままずっとそこで働かれてるはずですが。」

池辺が紹介したのは、こいつの会社の関連の雑誌編集部だった。ちょいと硬めの老舗月刊誌。おれの小説なんか絶対に載らないところだ。

「いや、最近しばらく会ってないんだけど、携帯換えた時にあいつの番号消えちゃってさ。」なんて下手くそな嘘だ。携帯なんか換えてねえし。

池辺は自分の黒い手帳を引っぱりだした。「ええと、ああ、ありました。でも家の電話ですよ。」ああ、それでいい。

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夜に電話した。

「はい、松平でございます。」年配の女の声、げっ、家の電話って実家なのか。

おそらく母親だろう。典型的な山の手のアクセント、ほんとうにいいウチの品のいいしゃべり方、おれの一番苦手な相手だ。背中から汗が噴き出してきた。

「あ、はい、夜分恐れいります、ワタクシ著述業をやっております・・・」ダメだ著述業はかまずに言えたが、声が完全に裏返りそうだ。

「あら、先生のご本はいつも読ませて頂いてますのよ。みちるですか。まあ、あの子ったら先生のお仕事もしてますの。家では何も言わないものですから。あ、ちょっとお待ち頂けます、ちょうどお風呂から上がったようですから。」

お母さんが読者で良かった。山の手の奥様も「落ち武者自衛隊」読んでくれてるのか。

「あら、ケンちゃん。いやだわ、お風呂入っててまだ髪が濡れてるのよ。」

みちるの声だ。つい昨日会ったような調子でしゃべってる。でも、あいつこんなに色っぽい声だったか。

「全然電話もくれないからどうしたのかと思っちゃった。どうしてたの。」

いや普通に取材行ったり原稿書いたり。

「実家なのか。」

「そうよ。言わなかった?」

まあ、聞きもしなかったが。だけど、松平って。

「そう、時代劇みたいでしょ。だから嫌なの。」

なあ、静岡のほうに親戚いないか?

「え、親戚はあちこちいっぱいいるけど、よくわかんないわ。なんで?」

いや、別に。。

「ねえ、それより何?急に電話くれたりして。もしかして、ウチの雑誌に売り込み?ケンちゃん、なんかウチではすごく評判悪いわよ。」

まあ、前にいろいろあったしな。いや、そんなことじゃない。

大体おれ何でみちるに電話してんだろ?

「お花見しないか。ちょうど満開だぞ。」自分でも予想しない言葉が口から出た。

「いつ?」

「明日の晩。」

「仕事いつも遅いのよ。」

「いいさ、遅くたって。じゃあ、明日な。」

待ち合わせの約束をして電話を切った。携帯を持ってる手にやたらに力が入ってたことに気がついた。花見か。。。

(先の展開が見え見えですが、続きます)

2009年3月 2日 (月)

ブルージュの鐘

いくら妄想でもこんなんでいいのか、と思いながらも書いてしまいましたので・・・

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アルバムの中の君の写真はいつも笑っている。
そう、これは君の一人旅のアルバム。ブルージュを訪れた時のものだね。あの時君はどうしてもブルージュに行きたいと言ったけれど、僕は仕事を休むことができなかった。いや、どうしても休めないわけでもなかったのかもしれない。でも君と一緒に旅行する機会はまたいつでもあると思っていたんだ。

ブルージュ。現地フラマン語の発音はブルッへに近い。13世紀に交易で栄えたこの美しい内陸の港街は15世紀以降には時代にとりのこされてしまった。赤レンガの建物や古びた運河といった風景は中世から止まった時間を映し出しているようだ。「死都ブルージュ」と言ったのはベルギーの詩人だったっけ。だけど君があこがれたのはただ美しい中世の町並みだったね。

君が訪ねたこの美しい街に、今僕は初めて足を踏み入れている。君と僕の間の時間差などこの街の時の流れからすれば一瞬のようなもの。君が見た風景とまったく同じ景色を僕は目にしているはずなのに、この街に君の痕跡を探すことはもうできない。

例えば僕は君が泊まったのとまったく同じホテルBourgoensch Hofに部屋をとった。運河沿いのこのホテルの外観はこの街の歴史的建造物に溶け込んでいて、小さな看板がなければホテルとは気付かずに通り過ぎてしまう。ホテルの女主人に君の写真を見せたけれど、肩をすくめてた。
「ごめんなさい。日本人の観光客はとても多いの。毎年たくさんの人が来てくれるから。」
無理もないけれど、君がここに泊まったのはもうずっとずっと前のこと。その頃はまだこの小さな街で日本人に出会うことはなかっただろう。今は世界遺産のおかげもあって、日本人の観光客もすっかりお馴染みになった。そう、僕も含めてね。

宿を出て君のアルバムに写っている街のあちこちを訪ねて歩いた。

君が楽しい思い出で語ってくれた絵描きのおじさんがいた橋。この街にはあきれるほどの橋があるけれど、君の写真と比べながら歩いて、わかったよ、君の橋が。もちろんもう絵描きのおじさんはいなかったけれど、代わりに若い女の子がデッサンしていた。僕らが話しかけたらきれいな英語で答えてくれた。
君が道を聞こうとしたマーケットは、道を聞くまでもなく橋からすぐ近くだったよ。教会の塔を目指して行けばその前の広場がマーケット広場。ちょうど市場のある日だったから、たくさんの露天が並んでいて、大道芸のパフォーマンスまで見られた。
広場には相変わらず街を巡る馬車も客待ちをしていた。君はあれに乗ったんだろう。僕らは遠慮したよ。でも代わりに運河の遊覧ボートに乗ってみた。水の怖い君が乗らなかった奴だね。何も怖いことなんてないのに。静かな水の上をゆっくりゆっくり進むんだから。

そう、ベギン会修道院にも行ってみた。
帰ってきた君が夢見る乙女の目で「修道院のシスターも素敵ね。」なんて言うもんだから、僕が笑うと君は怒ってたけど、君には修道女は似合わないよ。サウンドオブミュージックのマリアみたいなのは映画の中だけさ。

旅から帰った君は、僕に写真を見せながらひとつずつ説明してくれたっけ。君はよほどブルージュが気に入ったみたいで、僕らのハネムーンも絶対にまたブルージュに行くと言っていた。

だけど、それは叶わなかった。
君はあまりにも早く、あまりにも若く、永遠の時間の国へ行ってしまった。

僕の傍らには今、僕の妻となった人がいる。君の妹だ。君を永遠に失ってしまった後、僕の心を癒し僕を励まし僕を生かしてくれた人だ。だから僕は君のことはもう忘れて、彼女のために生きなければならない。僕と同じぐらい君を愛している彼女のために。そう、それはわかっているのに、なぜ僕はこの街に来たのだろう。

夕暮れが近づき宿に戻ろうとした時、鐘楼の鐘の音が聞こえてきた。旅から帰った君が「ディンドンディンドン」と口でまねしてくれたあの鐘楼だ。悪いけれど君の口まねは全然似ていなかった。カリヨンの音色はいろんな音が混じり合いもっとずっと複雑で微妙だ。今はこの鐘楼も世界遺産の一つになったんだよ。ブルージュの鐘楼はなかでも教会の塔という以上に鐘を鳴らす目的のために作られたような形をしている。そしてここのカリヨンの音色は他のどの街よりも美しい。
だけどどうしてだろう。鐘の音を聞いた瞬間に、君の想い出の全てが僕の中から吹き出してきたんだ。
妻の前で僕は、君の想い出の鐘の音を聞き涙がこぼれるのを止めることができないでいる。こんな僕を彼女は許してくれるだろうか。そして君は許してくれるだろうか。

この街に流れた時の長さに比べれば、僕たちの生きた時間などまるで瞬きの間。僕が君のところに行けば永遠が待っている。だけど今はまだ、君のいない一瞬の連続を生きなければならない。

(終わり)

2009年2月11日 (水)

Voyager to Aquarius

ワタクシ、みずがめ座生まれなものですから、「Aquarius」には個人的な思い入れがありまして。。

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彼女、この前一緒に行ったコンサート退屈だったみたい。20世紀のビートルズじゃあやっぱりクラシックすぎたかな。
でも、コンサートじゃなくて次は旅行に行きましょう、なんて彼女のほうから言い出したから逆に良かったのかも。それにしても、行きたいとこあるの?って聞いたら「みずがめ座」っていうから、ちょっとあせっちゃったな。今流行のデートスポットってのは知ってるけど、日帰りじゃ行けないから当然「お泊まり」だもんね。これって、「OK」ってことだよね、やっぱり。でも僕達まだキスもしたことがないんだけど。


待ち合わせのターミナル、搭乗締め切りのベルが鳴るのと、彼女がゲートに駆け込んでくるのとほとんど同時だった。

「ああ、大変。間に合ったわ。」
息を切らしながら見せる彼女の笑顔を見ると、文句を言ってやろうと考えていた言葉も頭から消えてしまう。
「服が全然決まらなくって。ごめんなさい。」
そういう今日の彼女、トラディッショナルな宇宙旅行スタイル。ミニスカートがいかしてる。これじゃ何にも言えないよ。

Secretgarden3 僕らのコンパートメントに入ると、アテンダントロボットが1機待っていた。
「ようこそ、シャトル・ユニバースへ」っていうお決まりの文句だけど、何か変った声。青いボディカラーのずんぐりした形。そうとうな年代もののタイプだ。なんでこいつがネコ型ロボットと呼ばれるようになったか、前に聞いたような気がするけど何だったかなあ。ま いいや、僕らを邪魔するなよ。
彼女はこのタイプのロボットが珍しいみたいで、すっかり話しこんでる。こいつがカワイイって?どうなってるんだよ、まったくもう。

あ、宇宙船動きだした。

おい、アテンダントだったら何か飲み物とか持ってきてよ。あ、ロボットのくせにいやな顔してる。早く行けよ。

彼女と何か話して盛り上げなくちゃ。

「ワープ航法は初めてでしょ。」僕の大学の専攻は時空航空学科、得意なジャンルでいいところ見せるぞ。

「ねえ、ワープする時ってどうなるの。」実は僕もワープは初めてなんだけど、本にはいろいろ書いてある。

「ワープ航法っていうのは一種のタイムトラベルなんだ。光速の近傍まで加速することでその物体のまわりの時空がゆがみ、そのゆがみを利用して空間的座標を極限まで縮小するのがワープ航法さ。時間の流れは見かけ上停止するから、光のない世界になる。光がないってことは闇もないんだ。」

「なんだかこわいわ。」彼女が僕を頼るような目で見てる。よしっ。

ロボットが飲み物持って帰ってきた。ありがとう。え、なんで自分だけどら焼きとか食べてんの?だいたい今どきどら焼きって、そんなのなんで搭載してんの?

「あれ、なんかおかしいな。」ネコ型ロボットが急にそわそわし出した。

「加速が止まってる。自動運行システムがトラブってるな。」

おいおい、冗談じゃないよ。こんな宇宙空間の真ん中で止まったりでもしたらお手上げだぞ。

ロボットは通信ソケットに自分のケーブルを差し込んで、ホストコンピューターとしばらく何か通信していたが、

「やっぱり、ちょっと行ってくるよ」と言って出て行った。

Secretgarden

「大丈夫かしら」彼女は心配そうな顔してる。

「この路線はまだ1回もトラブルはないはずだよ。大丈夫さ。」と言いながら、内心僕も不安で一杯。こんな時よく誰かが助けてくれたような気がするんだけど。。。

しばらくしたらネコ型のやつ戻って来た。

「いやあ、まいったよ。システムの一部にとんでもなく古いタイプのプログラムが残っててそれがバグってた。コンパイラもなくてパイロット・コンピュータもお手上げだったんだけど、僕の内部システムに同じタイプのプログラムが入ってた。年期ものも役に立つのさ。」

なんだ自慢か?でもおかげで僕らの旅行もひと安心。

「家の人、よく泊まりがけの旅行許してくれたね。」

Secretgarden1「うん、ママには良美ちゃんと一緒って言っちゃった。だから、あなたは今日は良美ちゃん。」

彼女そう言っていたずらっ子みたいな目で僕を見る。もしかして僕をけん制してる?それとも誘惑?う〜どっちなんだ?

「ねえ、見て。きれい。」彼女が窓の外を見て叫んでる。

地球だ。ちょうど地球から月を見るぐらいの大きさで青い地球が見えていた。青っていう以上の色、こういうの何て言うんだっけ、そう瑠璃色だ。

「さあ、そろそろワープだよ、ベルト締めて。」とロボット。

僕たちはシートに並んで座りシートベルトを締めた。

「僕らロボットはアテンダント・キャビンに行くから」宇宙航空法上はそういう規定らしい。

「ワープの時がチャンスだよ。しっかり。」ロボットのやつ、僕にだけ耳打ちしてウィンクするとコンパートメントを出て行った。あいつ、なんで僕に馴れ馴れしいんだろう。でもなぜか不思議になつかしい感じがする。   

やがて宇宙船全体が強い光に包まれたかと思った次の瞬間、全ての光が消えた。

「しずかちゃん」

「のび太さん」

隣の彼女が僕の手を握る。僕も彼女の柔らかい手を握り返した。

・・・
この続きは本が破けていてわからない。
お後がよろしいようで。

(おしまい)

2009年1月28日 (水)

Sweet Memories

「おせいちゃん」の続きです。

「上海ベイビー」はレンタルしてるんでしょうか。

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おせいは日本橋にある大きな商家にいた。
はじめこの家におせいは台所の下働きとして働き始めた。繁盛しているこの店では人手はいくらでも欲しいものらしかった。元来が働きものでよく気がつくおせいは、やがて台所仕事だけではなく、店先での客あしらいなどもまかせられるようになった。
そんなことで三年ほど経ち、おせいはこの家の主から後妻にと求められた。おせいとは親子と言っても通るような年の差だったが、それも珍しい話でもなかった。
「あたしの後妻、といっちゃあ何だが、あの子らの母親になっちゃあくれまいか。」亡くなった先妻との間の二人の子はまだ小さかった。
「旦那様、あたくしは先に亭主だったものが居りました。」
おせいは正吉と暮らしていたことを隠さずに言ってみたが、このさばけた男はそんならやもめ同士でなお好都合というようなことを言うのだった。
「若いお前にあたしのような年の亭主では少し可哀想な気もするが、今まで見てきて子供らに母親として仕付けのできそうなのはどうもこの店ではお前ぐらいだ。他のもんでは甘やかすか厳しくするだけになっちまう。それに何よりあの子らのお前になついてるのを見てると、あれでなかなか人ってものが見えてるんだろう。それとな、あたしも田舎から一人で出て来てなんとか日本橋に店を持つことができた。店のことはだんだんお前にまかせて、あたしは少し好きなことでもしようかと思ってるんだ。どうも自分のわがままばっかりのようだが、どうだろう。」
おせいも、身元も素性もないような自分を置いてくれたこれまでの恩を思うと、断り様もなかった。
下働きが大店の主の後妻にというので、子供を手なづけたの何だのやっかみを言うものが店の中にいないでもなかった。それでも三年も経てばおせいの切り盛りのしっかりしたところや人への裏表のないところで、すっかりお店の奥様で頼られるようになっていた。

ある日のこと、おせいは店先で使用人にあれこれと指図をしていた。ふと視線を感じて目を上げると、離れた先に旅装束の侍の姿があった。笠を深くかぶり顔は見えなかったが、おせいが目を上げると踵を返して足早に去って行った。
おせいはその後姿を見送って、はっと胸をつかれる思いがした。人というのは不思議なもの、同じような背格好の男など世の中にいくらでもいるようでいて、そのただ一人の背中が何年経っても忘れられないのだった。
胸騒ぎをひた隠しに幾日かを過ごしたおせいのところに、「かならずおかみさんだけに渡す様にと言い付かりました。」と丁稚の一人が手紙を持って来た。
おせいは誰もいないところで手紙をひらくとまた懐中に深くしまいこんだ。

おせいも神田明神にちょっとお札をもらいに行くと言えば、普段から思い立ったが吉日の質だけにそう目立つこともなかった。神田明神には祭日でなくても人のとぎれることはない。おせいも今は女盛り、けして派手な成りをするわけでもなく、年の割りには地味な着物だが、匂い立つような色香は人目を引かずにはおかない。幸いに、手紙にあった通りに本殿の後ろの大伝馬町八雲神社に回ると他に人影はなかった。あたりの様子を気にしながら小さな社に手を合わせていると低い声がした。
「おせい」
紛れもない正吉の声だった。振り返ると町人の姿をした正吉が後ろに立っていた。
「お前が幸せにやっているようで俺は安心したぜ。」
幸せ、とおせいは心の中でつぶやいた。傍目から見れば大店のお内儀となったおせいに何の不満もあろうはずがない。おせい自身、旦那にも子供にも何一つ不満などない。店の切り盛りも任されて忙しく日々を送っている。
だけど、とおせいの心は言う。幸せという言葉があるとしたら、あの正吉と暮らした長屋の暮らしが一番の幸せだったと。それがあんたにはわからないのかと。

「俺はお前を嫁になんぞしちゃいけなかったんだ。だけど、お前と暮らすのがあんまり居心地が良くてつい。だから、お前には済まなかったとずっと思ってる。俺のせいでお前を不幸せにしちまった。だから、今のお前が幸せでいてくれりゃあ、こんなうれしいことはねえ。」
「お前さんは」と言いかけて、おせいは次の言葉が出てこない。恨みごとを言えばいいのか、何を言いたいのか自分でもわからない。思わず正吉の袖にすがりつき、正吉の胸に額を押し付けた。
正吉はおせいを抱いてやりたいのをこらえている。いまは人の女房となったおせいを呼び出すだけでも道ならぬこと。おせいもまた、正吉の匂いの懐かしさが身体に広がるのをどうしようもなくこらえていた。二人のどちらかが何かすれば、砂糖菓子のように崩れてしまいそうなところを、ただそうやって立っていた。

どれほど時が経ったか、正吉が思いきって口を開いた。
「おせい、京の町が今どんなぐあいか聞いてるだろう。」
おせいは顔を上げて正吉の顔を見た。長屋に暮らしていた頃に比べれば、おせいの世間もずいぶん広くなった。尊攘派の浪士による京の騒乱のことは江戸にも伝わってきている。天誅組の変は三年前、蛤御門は一昨年のことだ。今は公方様が長州征伐をするやらしないやらともっぱら市中の取りざただ。
おせいの店にはいろんな人間が出入りする。正吉のかすかな訛りが甲州のものでないことも今のおせいにはわかる。あらためて見る正吉の顔は相変わらずの男前だが、目尻や額の皺は刻んだように深くなった。おせいにも正吉がどんなことをしてきたのか、朧げにわかった。
「お前さんは」またその先が続かなかった。
「俺の仲間はあらかた死んだ。志のあるやつほど早く逝っちまった。俺の命もハナからねえもんだと思ってる。」
志、という言葉がおせいの胸に刺さった。男なんて、とおせいは思う。手前勝手ばかりじゃないか。
「あたしは正吉と暮らした長屋暮らしが一番の幸せだった。」おせいはようやく言葉を次いだ。「もしも、来世ってもんがあるなら、今度こそ、ただの正吉のお前さんと添い遂げたい。」
お前さんは今だってあたしには植木屋の正吉なのに、と言いたいのを呑み込んだ。
「もう、もう逢えないんだね。」
正吉は頷いた。「来世があれば。」

「この先ひょっとすれば江戸の町も戦になるかもしれねえ。おせい、いいか。生きろ。何があってもお前は生きてくれ。」
これだけ言うと正吉はおせいに背を向けて行こうとした。
おせいはこらえきれずにその背中にすがった。
「もういっ時だけ。もういっ時だけこうさしておくれ。」

やがておせいは正吉の背中から離れ、着物のえりを直した。八雲神社の社の前に手を合わせると、思いを振り切るように、「あたしが目を開ける前に行っておくれ。」と言い放った。
おせいが目を開けた時、正吉の姿はすでになかった。おせいは泣かなかった。もう昔のおせいではない。夫と二人の子供のために生きるおせいであり、また正吉の命の分も託されたおせいであった。幸せの思い出のひとつふたつ胸にあれば生きていける。

まことに蛇足ながら、正吉と名乗った男は戊辰の戦いで果てた。おせいは長命し明治の世が大正と代わるまで生きた。その間に二人が二度と逢うことはなかった。
(了)

2009年1月25日 (日)

あなたに逢いたくて〜Missing You〜

毎度おなじみ妄想でございます。野菊の桃割れ髪を見ていたらこんな話になってしまいました。今回は親衛隊に愛を込めて「おせいちゃん」でございます。

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本所深川の裏長屋、人の言うお化け長屋に住む正吉のところにおせいが押し掛け女房で暮らし始めたのは、江戸の町を吹く風が涼しくなってきた頃だった。おせいは十八、髪こそ女房らしく結い直したものの、ついこの間まで桃割れを結っていた名残が見えるように顔立ちにはまだあどけないものが残っている。
この長屋の住人は貧乏人ばかり。口さがない連中はこの新しい夫婦ものをてんでんに勝手な浄瑠璃ばなしに仕立ててひまつぶしの種にしたが、それも一時のこと。もとより腑のない連中、おせいの気立ての良さが知れると陰口めいたことを云うものもいなくなった。

正吉は植木職人だった。正吉が庭仕事に行った先で茶を出したのがそこに奉公していたおせいだった。その幾日か後に、使いに出た先でやくざ者にからまれていたおせいを通りがかった正吉が助けたのが縁でそんな仲になった。
おせいは早くにふたおやをなくし、住み込みや下働きをして暮らしてきた。
「それでもあたし、女郎に売られなかっただけありがたいと思ってる。顔立ちが同じ歳の娘より子供みたいなもんだから、誰もそんな気にならなかったんだろうよ。」
おせいは自分でそんなことを云うと笑ってみせた。
正吉は口数の少ない男だったから、話すのはよっぽどおせいのほうばかりだったが、それもおせいには気にならないようだった。正吉は甲州の在の出といい、言葉にはいくらか訛りがあるようだった。江戸の町しか知らないおせいには甲州訛りも何訛りも同じことだった。

正吉の仕事は冬場は割にひまになるようだったが、夜にどこかに出かけることが多くなった。「ちょっと出かけてくる。起きてねえで寝てな。」と言い残し、宵に出かけて夜中に帰ってきたり朝だったりした。おせいは男の遊びだろうと思い、寂しくはあったが我慢していた。だがそれにしては妙だった。博打にしろ悪所通いにしろ金がかかる。正吉は暮らし向きにいるだけの金はおせいに渡してくれた。植木屋の手取りでそれ以上に遊ぶ金が入るとも思えなかった。それに帰ってきた正吉が酒の匂いをさせていることも白粉の匂いをさせていることもなかった。そんなことがおせいに逆に胸騒ぎを起こさせるのだった。「酔って帰ってきてくれればいっそ安心なのに。」と思ったりした。それでも正吉に行く先を問いただす気にはなれないのだった。
夜中に帰ってきた正吉がおせいを何時になく荒々しく抱くこともあった。帰ってきてくれたという幸せと、この幸せがいつまで続くのかと云う不安との入り交じったような気持ちがおせいの身体を揺り動かし、身悶えさせ小さな声をあげさせた。

その年も暮れ、米屋や味噌醤油の払いもきれいにすませて長屋で二人の年越しを迎えた。この貧乏長屋で晦日の支払いに窮していない家などよほど珍しかった。
「あたしは今まで生きてきて、こんな幸せが自分に来ようなんて思いもしなかった。この長屋だって雨も風もしのげる。お前さんさえずっといっしょにいてくれたら何にもほしいものもないもの。」
「お前は俺なんかのどこがいいんだ。」
「あたしは小さい頃からいろんなところにやられて、いろんな人を見て来ただろ。だから難しいことはわからないけれど、目を見ればその人の心根がわかるような気がするんだ。お前さんみたいなきれいな目の人を見たのは初めてなんだ。」
「俺あそんな目をしてるかい。」
正吉は照れたように笑ってみせた。
元旦には餅の雑煮で祝い、酒もつけた。祝言などなかった二人の初めての盃だった。
近くの八幡宮に初もうでに行った。晴れ着というわけには行かなかったが十分すぎるほどの正月だった。

寒さがしだいに和らいでくると正吉の植木屋の仕事も増えてきたが、夜の出歩きもまた多くなってきた。

夕暮れ前ちょっとした用に出て帰ってきたおせいは、長屋の裏手で男と立ち話をしている正吉を見た。普段なら正吉が照れるほどに遠くからでも声をかけて駆け寄っていくおせいだったが、この日はその二人の様子になぜか声をかけることが出来なかった。正吉と話している男は見た事のない顔だった。町人のなりはして いたが鋭い険しい目をしていて、やくざ者の目付きのとも違うように思われた。そのまま声をかけずに長屋に戻ると、おせいはやはりそのことを正吉に問いただ すようなことは出来なかった。

三月に入ったある日、江戸の町に雪が降った。前の晩から出かけた正吉は、その日は朝になっても帰らなかった。市中では井伊大老が桜田門外で浪士に襲われる変事に揺れていたが、おせいには関わりのないことだった。正吉の帰りだけが心配だった。
晩になってようやく正吉は戻ってきた。その身なりにはいつもと変わるところはなかったが、初めて聞くような思い詰めた口調で
「いいか、おせい、よく聞いてくれ。俺はもうここには戻って来ねえ。おれのことは忘れてお前はお前できっと幸せになるんだ。」
それだけ言うと、あっけに取られるおせいを残して、正吉はまた夜の闇に出て行った。

それからしばらくの間、おせいは長屋でひとりで暮らしていた。長屋の住人達には、正吉は旅の仕事があって留守にしていると言っていた。自分もそう思い込みたい気持ちだったのだろう。正吉の言葉は耳に残っていたが、それでもある日ひょっこり戻ってきそうな気がしていた。
ひと月ほどたったある日、一人の武士が長屋のおせいを訪ねてきた。笠を目深にかぶってはいたがその身なりは相当の身分と思われた。
「おせいか。」
「はい」
「正吉はもうここには戻らぬ。よいか、お前がここにいれば、お前にもどんな累が及ぶやもしれぬ。早々にここを出よ。」
その重い口調にはかすかに正吉の訛りと似通ったものが感じられた。
武士は懐から金子を取り出すとおせいの前に置いた。
「これだけあれば当座の暮らしは立ち行くはず。良いな、早々にここを立ち退くのじゃ。」
「お侍様、一つお教え下さい。あの人は、正吉は何か良くないことをしていたんでございますか。悪い人なんでございましょうか。」
武士は幾分声を和らげ、
「詳しくを語ることは出来ぬがこれだけは申しておく。あの者は義のために働いておる。」
おせいには義という言葉ははっきりとはわからなかったが、胸のつかえが一つ落ちたようだった。
「ありがとうございます。それだけ伺えば、もうお金など頂かなくても女一人の身、大丈夫でございます。」

武士が帰った後、おせいはたったひとつ正吉が置いていった植木職人の半纏を手に取った。しばらく眺めた後、それを胸に抱くと涙が一粒落ち、その後はあふれ出す涙がどうにも止まらなかった。
翌朝早く、おせいはお化け長屋を出た。

(おしまい)

2009年1月10日 (土)

Mermaid in blue dress 2

カーステレオは自然治癒しました。おかげで「聖子ちゃん通勤」復活。白黒の風景がカラーになった気分です。

妄想の続きです。

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「あたし、吉野家の牛丼食べたい。」
缶詰め生活が三日もすると、ホテル内の高級レストランの飯も一通り食っちまって、そういうことになる。おれも食いたいよ、吉牛。
「愛人って退屈なのね。想像してたのと違うわ。」
どんな想像だよ。
「本妻の人が乗り込んできて修羅場になったりとか。」
残念ながらおれには本妻自体いない。
それはいいが結局原稿には追われてるし池辺の目が光ってるおかげで、愛人らしいこともまったく出来ない。
「退屈だったら本でも読んでろよ。」
おれは資料として持ち込んだ本をみちるに手渡した。
吉川英治「新・平家物語」、宮尾登美子「義経」、半村良「戦国自衛隊」、森村誠一「野生の証明」・・・
「ねえ、小説って人の本見ながら書くの?なんだかカンニングみたい。」
「これは資料だよ、資料。あと、前に出てる本とカブらないようにチェックしてるんだよ。」
どうだか。何しろ正直は北アフリカの砂漠に置いて来た男だ。
「本はいいわ。プール行ってきていい?」
「あ、いいね。おれも行く。」
池辺が嫌な顔をしたのがわかった。何しろ原稿はあんまり進んでない。
「まあ、気分転換もしないとさ。」
「先生はせめて今の章を書き終わってからにしてください。」
しょうがねえな。え〜と、「熊谷は背後の危険を一瞬早く察知した・・・」

おれも水着に着替えてホテルのプールに行った。
人気のないプールサイドに並ぶデッキチェアの一つに、ミントブルーの水着を着たみちるが横たわっていた。目を閉じてまどろんでいるようだった。髪を短くしたおかげで白いうなじがよく見えた。人魚というのが本当にいるとしたらこんな姿をしてるのかもしれない。青い人魚。
じっと眺めているおれの視線に気づいたのか、みちるが目を開けた。
「ケンちゃん、意外とお腹出てないのね。」
ああ、これでも元外人傭兵部隊だからな。身体にはそれなりに気をつかってる。
「あたしの水着ずっと見てたでしょ。いやらしいんだ。」
「うるさいな。愛人だったら裸見たって文句は言われないはずだろ。」
おれはみちるの華奢な体を抱き上げると、そのままプールにジャンプした。
「きゃあ、やめて〜」
水しぶきが派手に上がり、小さな虹が見えた。

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「それでプールで転んで右手骨折ですか。」
「いや、ちょっとヒビが入っただけよ。」
同じことだ。池辺が心なしか青い顔をしてる。そりゃそうだ、原稿はまだ半分ぐらいしか出来てないってのに、おれはキーボードが打てなくなった。医者が来ておれの右手をミイラ男みたいに固めてった。
おれだって腹の中では真っ青になってる。
ちゃらんぽらんなようだが、おれは作家で食えるようになってから、書き下ろしにしろ連載にしろ一度も原稿を落としたことがない。傑作じゃなくたっていつも出版社の必要な字数を期限通りに埋めてきた。だからこそおれ程度の才能でなんとか作家として食っていられる。そのことは自分が一番よくわかってる。
「あれで行こうぜ。口述筆記ってやつ」
言ってみて思い出した。池辺は今どきの人間とは思えないほどパソコンが苦手なのだ。おれへの連絡もたいがい電話か手書きのファックスだ。携帯のメールを打ってるのだって見たことがない。まあ、原稿を書くのはおれだからかまわないが、出版社の仕事だっていまどきメールやらワープロが打てなきゃ不便だろうに。

もっともおれはそんな奴だからこいつをおれの担当にしてるのかもしれない。この文学青年くずれは歴代の芥川賞作家や直木賞作家の名前と受賞作を全部暗記してるらしい。こいつはおれの作品をいつも傑作と誉めてくれるが、その目は本気でそう思ってるらしい。
それにしても困ったな。いまからタイピングできる人間を捜すと言っても・・
「あたしワープロぐらい打てるわよ。」みちるが言った。
ワープロじゃなくてエディターなんだけどな。
「みちるさん、本当ですか。ちょっとやってみて下さい。」池辺の表情が明るくなった。
おれは、原稿の続きを口で言ってみた。
「100メートル先の薮の中に潜んでいる人間が、那須にははっきり見えているようだった。89式5.56mm小銃を構えると少しのためらいも見せずに発射した。相手にまったく反撃を行う時間を与えずに3人を打ち倒した。背後からこの様子を見ていた敦盛は思わず『鬼神』と口の中でつぶやいた。」
みちるの白い指がキーボードの上をよどみなく動いていた。ブラインド・タッチ、画面を覗くと変換も完璧だった。
「ワープロの資格なんてなんの役にも立たないと思ってたけど、たまには役に立つみたいね。」みちるはおれに向かって一つウインクした。
人魚には天使の翼も生えてるらしい。ストーリーの続きも何だか上から降りてきたみたいだ。今日は徹夜だな。

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7日目の朝に原稿は出来上がった。
ジュニア・スイート・ルームを出て、おれとみちるはティーラウンジのソファーに座っていた。
「おれんちに来るか。」
「あのね、あたしやっぱりお仕事するわ。池辺さんが就職紹介してくれるって。」
あいつ余計なことを。
「そんならおれの秘書だっていいじゃないか。」
「ううん、仕事は別じゃなくちゃ。ケンちゃんはあたしのア・イ・ジ・ンでしょ。」
「タクシーで送ってくよ。」
「地下鉄で大丈夫。ケンちゃんはその手じゃタクシーのほうがいいわね。怪我が直ったら電話して。」
みちるはおれの額にフランス映画みたいなキスをすると立ち上がり、真っすぐエントランスに向かって歩いて行った。人魚には帰る海があるらしい。
(おしまい)

2009年1月 8日 (木)

Mermaid in blue dress 1

妄想はどうも季節を選ばないようで。おまけに何だか暴走気味に長くなってしまいまして・・・

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8月の暑い日、おれはリッツセントラルハイアット東京のティーラウンジで人待ちをしていた。待ち人の来る確率は二分ぐらいかと思っていた。何しろ昨夜六本木のキャバクラで拾った女の子だからな。
キャバクラにしては何とも「ノリの悪い子」だった。脚はきれいだったが、胸は貧弱だったし。あんまり貧弱なんで珍しくなって、触って確かめようとしてひっぱたかれた。
「きみみたいなのはキャバクラには向いてないな。銀座か赤坂の高い店に行ったほうがいい。」
「あら、それだったら紹介してよ、そういうお店。」
「いいけど、その前におれの愛人になるってのはどう。明日から一週間、リッツセントラルハイアット東京のスイートルームだ。いいだろ。」
「ふ〜ん、悪くないかな。」
ということで、愛人候補を待ってるわけだ。ああ、スイートルームってのは嘘じゃない。何しろ新作の書き下ろしのために哀れ一週間出版社に缶詰めにされるところだ。せめてもの抵抗でリッツセントラルのスイートを要求したんだ。次の新作?構想だけは決まってる。平家の落ち武者が現代にタイムスリップして、自衛隊に潜入し内部の腐敗をあばいて大活躍するって小説だ。タイトルは「落ち武者自衛隊(仮)」。落ち武者探偵シリーズはおれの人気シリーズだからな。読む奴の気は知れないが・・・
指定した時間に12分遅れて彼女は現れた。上出来だ。昼もミニスカートできれいなお御脚をサービスしてくれてる。ていうか、キャバクラの衣装そのまんまだ。
「ホントだったのね。」
「インディアン嘘つかない。」
「何それ」
「ここに来たってことはOKってことだな、おれの愛人になる件。」
別に妻子がいるわけじゃなし、「愛人」という必要もないんだが、普通の彼女っていうよりなんか小説家っぽいだろ。
「そうね。ケンちゃんの言う通りキャバクラもやめてきちゃったし。」
この小娘、おれにはなぜかタメ口でケンちゃん呼ばわりだ。
「ほんとに店やめたのか。」
「ケンちゃんがやめろって言ったんじゃない。どうせあたしもやめるつもりだったし。」
「まあ、一週間はホテル暮しだ。食うのと寝るのには困らない。ホテルのプールもあるしね。」
「水着なんて持ってきてないわよ。」
「ホテルの中にブティックとかいろいろあるから買っていいぞ。全部ルームナンバーに付けときゃいいんだ。」どうせ出版社に払わせるんだし。
「ホント?うれしい!」
「服も買えよ。それキャバクラのドレスだろ。」
「うん、辞める時ぐだぐだ言われたから頭に来てもらってきちゃった。」
「ちょっとここじゃ目立ち過ぎるな。美容院にも行ったほうがいいな。
 ところできみ名前は?ミシェルってのは源氏名だろ。」金髪で瞳の色が薄くて「ミシェル」に見えないこともないが。
「みちるっていうの。ローマ字で書くと似てるからお店ではミシェルにしてたのよ。」

そんな話をしてると、担当編集者の池辺が現れた。こっちは相変わらず時間ぴったり、相変わらずの角ぶち眼鏡だ。部屋の準備が出来たんだろう。奴さんおれと一緒にみちるがいるのを見て、冷静を装いながらも訝しんでる気配がにじんでいる。こいつにはもちろん彼女の話はしてない。来なかったらカッコ悪いからな。
「おう、池辺ちゃん。部屋もうOK?
みちるちゃん、こちら出版社の池辺ちゃん」
「はじめまして。ケンちゃんの愛人のみちるです。」
おれは飲みかけてたコーヒーを吹き出しそうになった。普通自分で言わないだろ、愛人て。
「池辺ちゃん、まそういうことだから、この子も一緒な、缶詰め。」
池辺は状況を理解したようだ。
「わかりました、先生。でも缶詰めというのは、あくまで原稿を書いて頂かないといけないんですから。お忘れなく。」

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3人でエレベーターに乗り込み部屋に移動した。最上階の一つ下の「ジュニア・スイート」とかいう部屋だった。
「何だよ、ジュニアってのは。」おれが不満をいうと、
「プレミアム・スイートは最上階のワンフロア全部です。ベッドルーム8つだそうです。そんなには要らないでしょう、先生。」
「あっそう。」
”ジュニア”・スイートで十分だった。大広間みたいなリビングにベッドルームが3つ、キッチンにミニ・バー、ジャグジー付きのバスルームやらがついてる。みちるは単純にうれしそうな顔をしている。
「では私はこちらの部屋を使わせて頂きますので。先生とみちるさんはお好きな部屋を一部屋づつどうぞ。」
お前さんもやっぱり一緒なわけね、池辺ちゃん。と思ってるそばから、
「あっ、かわいい♡あたしこっちの部屋」とみちるが叫んでいる。なんでおれが残った部屋なのか、納得いかん。だいたいおれと愛人と別々の部屋なわけ?
「先生の執筆中は時間が不規則になりますから、やはりお部屋は別にされたほうが。ちょうど部屋数もあってますし。」はいはい。
缶詰め生活が始まった。

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みちるには最初に美容院に行かせた。
その間、池辺は「仕事場」のセッティングだの会社への連絡だのをやってた。オレは高層階からの東京の街の景観を見るともなく眺めながら、構想を練っていた。いや人に聞かれたらそう答えるという話で、実際はただぼうっとしていたんだ。ああ、さっきの高層と構想をちょっとかけてるのね。あ、余計?あ、そう。
リッツセントラルハイアットのスイートルームに感慨がないわけじゃない。いや大有りだ。物書きといって食えるようになったのだってようやく最近の話だ。こんなスイートでの缶詰めも初めてだし、出版社にふっかけて自分の値踏みをしたいようなところもあった。だからリッツセントラルには満足していた。池辺には言わないが。

しばらくして、美容院からみちるが帰ってきた。
セミロングの金髪がばっさり黒髪のショートに変っていた。顔の化粧もすっかり変って、ちょっと見素顔みたいな顔になっていた。まるでゆで玉子みたいな肌、薄化粧になるとあどけなささえ漂っていた。
おれと池辺があっけに取られたような顔をしているのに気付いたのか、みちるはちょっとバツが悪そうに
「なんか美容師の人テンション上がっちゃって、髪型はこっちがいいとか、メイクは薄いほうがいいとか、どんどん変えられちゃって。変じゃない?」
変じゃないさ。まるで「ローマの休日」だ。
「だけど、きみトシいくつだ?」
「はたちよ。」
なにい、二十歳だと。若いとは思ってたが・・・
「よおし、じゃ服買いに行くか。池辺ちゃん、それぐらい良いだろ。よろしくな。」

ホテルの中のブティックでひとしきり「プリティ・ウーマン」気分を味わった。まあ、おれの方はリチャード・ギアなわけないが、みちるはジュリア・ロバーツよりずっといい女だ。
「ねえ、水着も買っていい?」
「おう、買え、買え。」
みちるが選んだのは、黒のワンショルダーのワンピースと肩にフリルのついた青のワンピースだった。
「ビキニじゃないのか。」
「だって、あたしの胸じゃ似合わないもの。これ似合わない?」
いや、最高だ。。。

(まだ続きます)

2008年12月25日 (木)

白い恋人

妄想シリーズも今年はこれで最後です。

(ここから)

僕の名前は田沼雄一、京南大学でスキー部の主将をやっている。
今僕がつき合っている子はのりちゃんだ。
この夏に海で知り合って以来、時々デートしているんだ。
ところが、僕らスキー部は冬ともなれば雪山で合宿生活。東京にはしばらく帰れない。デートする機会がなくなっちゃったんだ。

でも、のりちゃんも大学が休みになったからと、僕らの合宿所に来てくれることになった。ヤッホウ。食事の支度なんかを手伝ってくれるというから、今年の合宿は天国だ。よ〜し、がんがん練習して今年の大学選手権は絶対ウチが優勝だ。

苗場にある合宿所のロッジにのりちゃんが来る日は朝からそわそわ。バスの着くところまでマネージャーの江口と一緒に迎えに行った。

待ち合わせ場所にはのりちゃんとのりちゃんの友達の良美ちゃん、それに青大将。ん、青大将、なんでお前もいるんだよ。

え、二人をお前のクルマで送ってきてくれたのか。そうか、ご苦労さんだったな。じゃあ気をつけて帰れよ。なに、お前も合宿所に来る?お前スキー部じゃないじゃないか。しょうがないなあ、まったく。

Winterfairy2

久し振りに会うのりちゃんは、白いスキーウェアでいつもの笑顔を見せてくれた。

のりちゃん、髪短くしたんだ。

あ、うん、似合ってるよ。

今年の合宿は楽しくなった。練習の休憩時間にはのりちゃんたちがコーヒーを入れて待っててくれる。夕食の後は大きなストーブのある食堂件ホールで、ギターをひいてみんなで歌ったりダンスしたり。

練習を休みにして自由行動という日、僕はのりちゃんにスキーを教えてあげる約束をしていた。ところが青大将のやつ、

「田沼、良美ちゃんにも一緒に教えてやれよ。オレも手伝ってやるからさ。」

まったくお前が一番スキーできないんだろ。何考えてんだよ、まったく。でも良美ちゃんの手前断れないじゃないか。

ゲレンデに出てみると良美ちゃんはほんとに初心者だった。しょうがないから手取り足取り。なんだかのりちゃんの目がちょっとこわい。大体、良美ちゃんは君の友達だろ。

おい、青大将、なんだって。のりちゃんとお前は少し滑れるから、上のゲレンデ行ってくる?

勝手にしろ!

特訓のおかげで良美ちゃんもどうにかボーゲンで滑っておりられるようになった。次は青大将に面倒見させよう。

夕方、合宿所のロッジに戻るとのりちゃんはまだ帰っていなかった。

まったく青大将の奴、どこ引っぱり回してるんだ。おい、青大将いるじゃないか。え、一度帰ってきてのりちゃんだけ出かけてった?もう暗くなるぞ。

僕はまたゲレンデに探しに戻った。もうリフトも停まっていた。幸いスキーは置いてったようだから、そう遠くへは行けないはずだ。見当をつけて初心者ゲレンデのゆるいスロープを登っていくと、一筋の足跡。歩幅から見て、女の子のものらしかった。

終点の小さな丘の上に人影がひとつ見えた。

彼女は僕に気づくと、ぷいと横を向いた。

馬鹿野郎!心配するじゃないか。

言いかけたが、彼女の目に涙が光ったように見えて口から言葉が出なかった。

ポン!

彼女が僕の胸に投げつけた雪玉が命中。

やったな。

彼女のところに駆け寄って捕まえると、彼女のポケットから小さな箱が落ちた。

拾い上げると金色のリボンをかけた小さな箱。

「田沼さん、今日がクリスマス・イブだって忘れてたでしょ。」

そうか。練習に夢中で気がつかなかった。

「いいわ、許してあげる。

帰りましょ、今頃石山さんとかみんなでパーティーの準備してるわよ。」

やれやれ、青大将に一本取られたみたいだ。

でも、のりちゃんが笑顔になってくれたから、まっいいかあ。

Winterfairy3

のりちゃん、僕がおんぶして滑ってくぞ。

メリー・クリスマス!

(おしまい)

2008年11月24日 (月)

風は秋色

連休にこんなもの書いてるとよほどヒマだと思われそうですが、大雪で大変だったんですから。

「風は秋色」は名曲です。

(ここから妄想)

僕の名前は田沼雄一、京南大学ヨット部のOB兼コーチだ。現役の時は470乗りだったが、卒業して就職してから念願のクルーザーを手に入れた。といっても中古の小さな艇だがともかく自分の艇だ。
そんなわけで休日の全てを海に費やしてる僕にはまさに「海が恋人」ってわけだ。
だからといって別に彼女が欲しくないわけじゃない。実は今年の夏、ヨット部の合宿で伊東に行ってた時、かわいい女の子と知り合いになって、いい線行きそうな感じだったんだ。彼女、名前はのりちゃん、法律の法と書いてのり子と読むと言ってたな。色の白い子で最近の流行歌手みたいなはやりの髪型がよく似合ってた。友達と3人で僕らが合宿してる宿の近くに泊まってたんだけど、ヨット部の練習を珍しそうに見てたから、ヨットの事とかいろいろ教えてあげて結構仲良くなって、合宿の打上げにも来てくれたんだ。

だから帰りは僕の艇に乗って行かないかって誘ったんだけど、なんだか急に態度がよそよそしくなって結局電車で帰っちゃったんだよな。打上げの時に青大将も来てたから、あいつが何か変なこと言ったんじゃないかな。あいつ知らんぷりしてるけど今度会ったらとっちめてやるぞ。

結局のりちゃんとはそれっきり。住所も電話番号も聞いてないから連絡のしようもないんだ。

それが今年の夏の話なんだが、この前ヨット部の部室に行ったら僕宛の手紙が届いてるって渡されたんだ。「京南大学ヨット部 田沼雄一様」宛だから大学に届いてたんだ。マネージャーの江口の奴がにやにやして僕の顔を見るから何かと思ったら、のりちゃんからだった。

封を切って手紙を読んでみたんだけど、夏の伊東は楽しかったとかとりとめもないことが書いてあるだけなんだ。それとあとは押し花をカードにしたのが1枚。フリージアって花らしい。消印は軽井沢だし、住所も電話番号も書いてないから返事の出しようもないじゃないか。まったく女の子ってやつは。。

それでこの連休、自分の艇でまた伊東に行くことにしたんだ。もう海は観光シーズンじゃないし、またのりちゃんが来るわけはないんだけど、何となく気になってしょうがなかったんだ。

風向きが悪くて葉山から伊東まで行くのはちょっと苦労した。やっぱり夏とは風が違う。まあこれも海の楽しみだけど。

伊東についてマリーナに係留した後、特にあてもないけど合宿の時にお世話になってる宿に挨拶でも行こうと陸に上がったんだ。

そしたら何だかこっちを見てる女の子が一人。

「田沼さん!」

「のりちゃんじゃないか!」

「どうしてここに?」

「そっちこそ。軽井沢から手紙をくれただろう。住所も何も書いてないから返事も出せなかったじゃないか。」

「あら!そうだったかしら。私ってそそっかしいの。ごめんなさい。」

そしたら彼女急に笑い出した。

「田沼さんのそのジャケット、今の季節じゃもうちょっとおかしいわ。いくら海の男だって。」

僕は夏に着てたマドラス・チェックのジャケットを着ていた。実は彼女の手紙に、もうこのジャケットしか覚えていないとか書いてあったから、気になってこれを着ていたんだ。ここで再会できるとは思ってなかったけど、やっぱり期待していたんだろう。もちろんそんなことは言えないけど、ちょっと顔が赤くなったかもしれない。

「そうかなあ。それより今度こそ僕の艇に乗って行かないか。食料もビールもたっぷり積んであるんだ。」

のりちゃんはまぶしそうな目をして小さくうなずいた。ヤッホウ!

(おしまい)

2008年10月13日 (月)

かなり真っ赤なロードスター

この街に来たばかりの僕は、土曜の晩に愛車をころがして海岸の道路にやってきた。
岬へと続く道の入り口にあるドライブインの駐車場に入ると、案の定気合の入ったマシンが数台並んでいる。
ドライブインのカウンターでコーヒーを頼むと、先にいた客の一人が話しかけてきた。
「オレはボビー。あのマスタングGTはあんたのかい。相当いじってるだろう。」
「ジョンだ。まあね。君も走り屋なのかい。」
「サタデー・ナイト・レースさ。ここのルールは1対1、ここがスタートで岬の突端のパーキングがゴールってわけさ。」
「面白そうだな。」
「あんた、ここは初めてだろう。じゃあ、天国湾道路(Heaven-bay road)のプリンセスは知らないな。」
彼は、ここのサタデー・ナイト・レーサー達の伝説となっている女性の話を始めた。
「プリンセスは真っ赤なロードスターを転がしてた。ポルシェの356ロードスター。ちっこい車だがすばしっこい。コーナリングは最強だ。」
「彼女とレースしても誰も勝てなかった。もちろん最初はみんな甘く見てたのさ。女の子のあんなちっこい車と思うからな。でも結局誰がどんなマシン持って来ても全滅なのさ。」

「ここに来る連中は赤のロードスターと勝負するのにみんな血眼になってた。何しろいつのまにか、彼女との勝負に勝てば彼女のハートも頂きって話になってたからな。プリンセスはシンプルな格好だけどいつもキュートだったよ。ポニーテールの黒い髪をなびかせて走るのさ。」

「ポルシェは確かに良いクルマだけど、君のスティングレイが絶対かなわない相手じゃないだろう?」

「ああ、オレもそう思ってチャレンジしたさ、もちろん。

この天国湾道路のレースにはコツがいる。道幅が狭くてコーナーばかりだから、前を追い抜けるポイントは多くない。スタートで前に出られるとなかなか抜けないのさ。

プリンセスのロードスターはスタートの加速が抜群。あとはコーナーをブロックするライン取りだ。

無理に追い抜こうとして縁石にヒットしてパンクした奴、新車にケムをはかせた奴・・・プリンセスのハートを射止めるのは命がけだ。」

「面白そうだな。今日はプリンセスは来ないのかい。」

「ああ、プリンセスはもうレースはやめた。彼女を追い抜いた奴が現れたのさ。」

「そうなのか。ちょっと残念だな。一体どんなマシンだい、彼女に勝ったってのは。フェラーリ・デイトナか?」

「シトロエン」

「え」

「シトロエン2CVだ」

「あのブリキのおもちゃかい?冗談だろう。」

「プリンセスのロードスターのチューニングはベンがやってた。この街でヨーロッパ車のメンテナンスができるのはベンのところしかないからな。」

「ベンはメカニックだが、走り屋じゃない。だけどいつもロードスターのチューニングに来るプリンセスにほれてたってわけさ。

プリンセスからサタデーレースの話を聞いてたんだろう。だから絶対に自分が彼女のハートをつかもうと思ったんだな。でスペシャル・マシンを組み上げたってわけだ。」

「それにしてもシトロエンじゃあ・・」

「ボディが一番軽くてすかすかなのがシトロエンなんだとさ。それにビートルのエンジンをチューニングして前と後ろに2つ載せた。これで4WD、8気筒の2CVさ。」

「クレイジーだ。」

「バランスは最悪、真っすぐ走るのがやっとで、コーナリングなんてありえないと言ってたよ。」

「僕も乗りたくないな。」

「ベンとシトロエンを見て、プリンセスもびっくりしたようだったが。ベンの作戦はとにかくスタートのパワーとトラクションで前に出ることだった。コーナーじゃどこに吹っ飛んでくかわからないような動き方するから、さすがのプリンセスも抜くに抜けなかったんだろう。」

「それでベンが勝った?」

「ぎりぎりだったがな。ゴールでプリンセスにベンが言った台詞が洒落てた。
『プリンセス、悪いけど帰りは君のクルマに乗せてってくれないか。片道分しかガソリン入れてこなかったんだ。』だとさ。」
「ともかくベンのハートが伝わったんだろう。プリンセスのほうがベンに首ったけになっちまった。レースもやめて、すぐにベンと暮らし始めた。」

「それじゃ、プリンセスも今じゃ修理屋の女房ってわけか。」

そう聞くと、ボビーは軽くため息をついた。

「ああ、そうだった。ふた月前まではな。いいカップルだったんだが。
プリンセスは歌手になるとか言ってこの街を出ていった。まあ、ショービジネスならこの街じゃダメなのは確かだが。
ベンも納得して送り出しはしたらしいが、それで急に老け込んじまって。今じゃよく店で飼ってるカナリヤに話しかけたりしてる。」
「まあ、チューニングのことならサンセット通りのベンの店に行くといい。腕は確かだ。店の前の歩道にシトロエンが停まってるからすぐわかる。今はもう動かないスペシャル・マシンだ。」

ボビーの話はこれで終わりだった。
「それより、ジョン。マスタングGTの走りを見せてくれよ。勝ったほうが飲み物をおごるってことで。ああ、5つめのコーナーには気をつけろよ、奥に行くほどRがきつくなるからな。」
(おしまい)

2008年10月 3日 (金)

野バラのエチュード

10月になったので、妄想シリーズ(シリーズかい!)第2弾はこれ。

(ここから妄想)

秋風とともに一通のエアメールが配達された。
見慣れない国の見慣れない切手。だが、誰からのものかはすぐにわかった。

新入生の彼女が僕らのサークルに現れたのは2年前だった。
僕らのサークル、と言ったって何かちゃんとした活動をしているわけじゃない。コンパをするのが唯一の活動みたいなもんだった。名前だけは「国際交流研究会」だったけど。

その彼女、およそ僕らのサークルには場違いな感じだった。少女漫画の主人公のようなセミロング巻き髪ヘア、お嬢様風のワンピース。
こんなかわい子ちゃん、うちのサークルの実態がわかればすぐにいなくなるだろうとみんな思っていたのだが、何が気に入ったのか不思議なことにそのまま居着いてしまった。まあ、誰もかわい子ちゃんがきらいなわけはなく、みんな結構ちやほやしていたから、それが功を奏したのかもしれない。
僕はといえば、サークルでは一目置かれている存在だったから、他の連中のように彼女をちやほやするわけにも行かなかった。
僕が一目置かれていたというのも、そう大した理由じゃなく、大学を1年休学して海外を一年放浪した経験がみんなに過大評価されていただけだった。まあ、海外を旅行してたのは嘘じゃないが、実際そんな放浪というほどワイルドな経験をしたわけでもなかった。最初はアメリカに留学してる高校の時の友達のところに転がり込んでみただけ。その後はむこうで知り合った奴にくっついてインドに行ったり、そこでまた日本人が集まってる安宿でぶらぶらして、また他の奴にくっついて別の国に行ったり。何か目的があっての旅でもなかったし、いつも日本人と一緒にいたせいで、英語だって大して身に付かなかった。

それでもコンパの時には、「インドってさあ、やっぱ価値観とか世界観変えられちゃうよね。」だのほざいていれば海外通のような顔をしていられた。

そんな僕に、これまたなぜかはわからないが、かわい子ちゃんの彼女はなついてきた。

「私、将来は国際貢献とか国際交流とか、そういう仕事がしたいんです。」目をきらきらさせてそんな事を言う彼女。完全に言う相手を間違えている。

「あれこれ考えてる前に海外に飛び出して、自分の目で世界を見てみなきゃ何も始まらないぜ。そんなお嬢様みたいな服着てるんじゃダメさ。」自分のことは棚に上げてえらそうなことばかり。

だから彼女が突然長い髪をばっさりショートにした時には驚いた。

彼女なりに大人になろうとしている決意のひとつだったのかもしれない。ショート・ヘアになっても相変わらずのかわい子ちゃん、サークルのアイドルだったのだけど。

大学のサークルなんて、ほれたのはれたのの話には事欠かない。

かわい子ちゃんももちろん例外じゃなく、何を考えたかよりによって僕に今度は恋愛相談。同じサークルの○○と△△と××、3人から告白されて、だけど彼女の意中の人は別にいるのに、さっぱりそいつの気持ちがわからないとかなんとか。

「ま、でもとにかく、自分を大事にすることかな。」なんて先輩面して言ってみたものの、説得力ゼロだな。なにしろ、つい気になって、聞かなくてもいいこと聞いちまった。

「それで、そいつとは、もうやったのか?」

彼女、顔を真っ赤にして下を向き首を降ると、何も言わずに帰って行った。そりゃそうだわな。

それからしばらく、彼女はサークルに姿を現さなくなった。

そして彼女は、大学3年目の年に1年休学して、あるNGO団体のボランティアとしてヒマラヤの麓の村に行ってしまった。まわりはショートカットの時以上にあっけに取られるばかり。僕はといえばその年も卒業できず、就職浪人と称してまだ大学でぶらぶら。

春に旅立った彼女からのエアメールを受け取ったのは、もう10月になった頃だった。

「こちらに来てからあっと言う間に5ヶ月もたってしまいました。来たばかりの時はすべてがカルチャー・ショックの連続でした。本当に先輩の言っていた通り、自分の目で見なければわからないということを実感しました。

でも、最近はようやくこちらの生活にも慣れて、現地の子供達ともコミュニケーションが取れるようになってきました。日本と比べるといろんな面で恵まれていませんが、どの子も目がとても澄んでいて、素敵な笑顔を見せてくれます。きのうは子供達が野性のバラを花束にして私にプレゼントしてくれました。こんな体験が出来るのも先輩がいろんなことを教えてくれたから、そして私の背中を押してくれたからだと思ってとても感謝しています。

こちらでは雨期が終わり、今まであまり見えなかった山々がよく見えるようになりました。なかでも神の山として信仰されている山が「テュルリ・ラ」というとてもきれいな山です。この山がよく見える日にはいろんな願い事をするのだそうです。

でも「テュルリ・ラ」ってなんだか楽しい名前でしょ。私、「テュルリラ、テュルリラ」って節をつけて歌ったりしてるんです。もちろんお願いごとをしながらですよ。」

「テュルリラ、テュルリラ」か。

二十歳の彼女は僕よりももうずっと大人みたいだ。

僕も来春こそは大学を卒業しよう。

(おしまい)

2008年9月26日 (金)

渚のバルコニー

もう夏も終わり、というか秋分の日も過ぎて完全に秋ですね。「渚のバルコニー」も季節はずれになってしまいましたが、聴いていると妄想がひろがります。

(ここから妄想)

その夏、海の家のバイトを始めたことを僕は正直後悔していた。
そう、彼女が現れるまでは。

高校2年の夏、それまでずっと続けていたサッカーをやめて、初めて夏休みらしい夏休みが満喫できるはずだった。プール行ったり海に行ったりバイトしたり・・・だから親父の友人という人の海の家でのバイトは理想的な夏休みの環境のはずだった。
現実は正反対、朝早くから夕方まで休憩らしい休憩もなしのてんてこまい。海で泳ぐ時間はおろかお客さんの女の子に声かける余裕もありゃしない。大体なんでバイトが僕だけなんだよ。正直親父にだまされたと思った。
そんな一週間が過ぎ、どうやったらこのバイトを辞められるか真剣に考えていたある朝、彼女はやってきた。
「おい、今日からこの娘もバイトだからな。」

紹介された彼女は白のTシャツにジーンズのショートパンツ。ショートカットの髪が良く似合っていた。はにかむような笑顔の口元にのぞく大きめの犬歯がたまらく可愛かった。彼女は僕と同じ高校2年。なんでもオーナー(という名の人使いの荒いオヤジ)の親戚なんだそうだ。

海の家で年が近いのは二人だけだったから、僕たちはすぐに仲良くなった。

彼女はおよそ夏の海には不似合いなほど色が白かった。

「陽に当たると焼けないですぐ真っ赤になっちゃうでしょ。だから1日何回も日焼け止め塗らなくちゃいけないの。もー大変。」

などと言ってはころころと笑うのだった。

それでも彼女はくるくると動き回ってよく働いていた。

それで僕の仕事も楽になるはずだったのだが、逆だった。彼女が来てからというもの、この海の家、妙に客が増えたようだった。おかげで僕の仕事もさっぱり楽にならなかった。彼女目当ての客、若い男が増えたのはあきらかだった。彼女が注文取ってきた料理や飲み物を僕が運んで行くと、あきらかに不満そうな顔をされたり。

そんなわけで仕事は楽にならなかったが、彼女と一緒に働いてるだけで地獄から天国に来た気分だった。お互いにアイコンタクトで「水」とか「メニュー」とか会話できるようになったし、たまに変な客がくると裏に回って二人で大笑いしたこともあった。

昼時の一番忙しい時間帯が終わると、僕たちは一緒にまかないの昼飯を食べていた。人使いの荒いオーナーが作ってくれるまかない飯がまた妙にうまかった。多分、海の家のメニューのどの料理よりもうまかったんじゃないか。これでオーナーも一緒のテーブルでなければ最高なんだけど。。。

そしてもっと楽しみな時間は夕暮れ前、閉店して後片付けをする時だった。もともとこの海の家の建物、普通のプレハブではなく、海辺のしゃれたカフェレストランだったのがつぶれた後、オーナーが二束三文で買い取ったという話だった。おかげで屋上に海の家には不似合いなほど立派なデッキテラスがあって、パラソル付きのテーブルを並べていた。バドワイザーやハイネケンのマークの入ったあれだ。閉店の時にはそのパラソルを毎日片付けていた。オーナーや奥さんは中の片付けをやっていたので、デッキの片付けは彼女と僕と二人の仕事だった。要領をつかんでしまうとパラソルの片付けはすぐに終わるようになったので、後は帰る時間まで二人でデッキの上でいろんな話をして過ごした。夕暮れが近づく浜辺は人影もまばらになり、波にきらめく夕陽の反射がきれいだった。

「サッカーって上手だったの」

「まあ、中学までは一応10番付けてたし」

「えっ、10番だったら補欠じゃないの」

「それは野球だろ!ジーコだってラモスだってエースはみんな10番なんだ」

「何それ?怪獣?」

「・・・・」

彼女はオーナーの家から一緒に通っていたから、戸締まりが終わるとオーナーのバンに乗って帰って行った。バンを見送った後、僕は自分のチャリンコで家に帰るのだった。

「おい、ウチのかわいい姪っ子に手え出すんじゃねえぞ。」なんてオーナーがにやにやしながら言ってくることがあったけど、オーナーの家にいるんじゃ文字通り箱入り娘、手の出しようなんてあるわけもなく。デッキで過ごす夕暮れの時間だけが僕の幸せだった。この夏がいつまでも続いてくれないかと思っていた。

「あたし、ここから見る海が一番好き。ここに名前付けたんだ。渚のバルコニーって言ってるの。」女の子ってのは勝手に不思議な名前付けたりするものらしい。

「ねえ、10番。なんでサッカーやめちゃったの」

「だってウチの高校のチームじゃ全国なんて行けっこないし、ずっとサッカーやってたって日本じゃプロなんてないし。」そう、Jリーグなんてまだ影も形もなかった。

「ふーん、じゃサッカーやめて将来は何になるの」

「・・・・」

サッカーやってる時は練習とかいやで、やめることばかり考えてたけど、やめた後何をするかなんて考えもしなかった。夏休み思いっきり楽しむぞ、てことしか考えてなかった。

「ミュージシャンでもなろうかなあ!」

「えっ、じゃギターとかできるの」

「・・・・」

夏は永遠に続くわけではなかった。お盆をすぎると海の人出も何となく少なくなってきたのがわかった。渚のバルコニーで過ごす時間の夕陽もずいぶん低くなっていた。

「ねえ、キスってしたことある」

急に彼女にそんなことを言われて僕はどきどきした。

「アメリカだとみんな挨拶代わりにキスするんでしょ」

なんでアメリカが出て来たのかますますわからない。

「ここの夕陽は毎日見てるけど、夜明けの誰もいない時の海見てみたいなあ。ねえ、明日朝早くここに来ない」

もしかして、夜明けの海で

「キス」か?

箱入りの彼女がそんな時間にどうやって抜け出してこれるのかは謎だったが、とにかく約束をして、彼女はバンに乗り込んで行った。

翌朝、

僕は必死に自転車をこいで、夜が明ける前に「バルコニー」に着いた。未明の青い浜辺が次第に明るくなり、赤い太陽の光が海面を照らし始めるのを眺めていた。

そして、彼女は来なかった。

店を開ける時間になり、オーナーのバンがやって来たが、そこにも彼女の姿はなかった。

今日は彼女は、と口をとがらせて聞きかけるとオーナーは意外そうな表情をした。

「昨日であの子は最後だぞ。なんだ、お前ら毎日くっちゃべってたくせに知らなかったのか。昨日の夕方だってずっとしゃべってたから、てっきりその話してると思ってたのに」

彼女の両親はアメリカに住んでいること。彼女が今まで寮のあるミッション系の高校に通っていたこと。アメリカの大学に進学することにしたため、準備のため9月の新学期から向うの高校に転入すること。今日はもう飛行機で飛び立ってしまうこと。みんな初めて聞く話だった。そういえば彼女のこと、自分でもびっくりするぐらい何も知らなかったことに気がついた。

「本当はいろいろ準備もあるから一週間ぐらい早く向うに行くはずだったんだが、なんか知らねえがぎりぎりまでここでバイトしたいとか言い出してな、それで昨日までだったんだ。それにしてもそんなことも話さねえで、お前ら毎日何の話してたんだ?」

まったくだ。でも今日はもう来られないはずなのに、彼女はなんであんな約束をしたのだろう。それだけは考えてもいまだにわからない。ただあの朝の夜明けのビーチの景色だけはなぜか胸に焼き付いている。

結局その後もバイトは1日も休まず、その年の僕の夏休みは終わった。

2学期が始まり僕は大学受験のことを考え始めた。志望校は強豪といわれるサッカー部のある大学だった。

(おしまい)

2008年8月18日 (月)

同級生

以下は全くの作り話です。まあ例え話として読んで下さい。

同級生の彼女はクラスの、いや学年の、いやおそらく全校男子のアイドルだった。(名前はA子としておこう。)何しろ1年の宿泊合宿の時、男子部屋の強制告白ではクラスの男の10人に8人は彼女に思いを寄せていることが発覚した。(こんな面白みに欠ける告白大会もない。ちなみに残りは既に彼女がいる奴と、男子が好きな奴だった。)僕ももちろん多数派だった。
彼女はものすごい美人というわけではなかったが、笑顔がたまらなく可愛かったし、彼女がいるところは花が咲いたように明るい雰囲気になるのだった。
特に彼女はテニス部だったので、放課後のテニスコートはこれまた一輪の花が咲いたような眺めだった。おかげで野球部の球拾いの奴やら他の部のランニングの奴やらがなぜかテニスコートの周りをうろうろする始末。
写真部だった僕は同じクラスの友人にそそのかされて、テニス部の活動の取材と称して彼女のテニスウェア姿を写真に納め、出来の良いカットをブロマイド風に焼きつけた。言い出しっぺの友人という奴がそれをみんなに売りさばいていた。

彼女は一時はテニス部のエースと付き合ってるらしいという噂で、時々一緒に帰る姿を目撃されていたりしたものの、実際は付き合うまで行かなかったらしいとかエースが降られたらしいとかそんな話だった。もちろんクラスの奴らも度胸を出してアタックしたのが数人いたがことごとく討ち死に。僕はといえばそんな勇気もなく、我が傑作のブロマイドを後生大事に隠しもって高校の3年は過ぎた。

卒業の後、彼女は東京の私大に入学し、僕は地元の国立大に入学し彼女との接点はそれっきりとなった。

接点はなくなったものの、その後も彼女の消息は風の噂で入ってきた。大学を卒業するのとほとんど同時に彼女は大学のサークルの先輩という人と結婚したということだった。

「でもね、それが学生時代ずっと付き合ってた人だと思ってたら、違う人だったんでびっくりだったのよ。」こいつはB子という名前の「風」。まあどこまで本当だか知らないが、いろんなことを教えてくれる。「その人とは卒業間際に何だかうまく行かなくなっちゃったんだけど、その直後にその結婚相手の人にアタックされて3か月で結婚という話になったんですって。こういうのってタイミングよね。」そんなタイミングがあるのなら先に教えてほしかった。ともかく風の噂では結婚の翌年には子供を出産、幸せな主婦生活を送っているものと思われた。

だから、そんな彼女が離婚しシングルマザーとなったというのは意外だった。風の噂のレベルでは離婚の理由など知る由もないが、大学卒業後にすぐ家庭に入り仕事の経験のない彼女が何か仕事を始めたことに何がしか関係があるようであった。

それが今から20年ほど前のことだから、バツイチの女性というのもシングルマザーというのも今ほどよくある話というわけではなかった。しかしその後の彼女の消息というのはさらに意外なものだった。

いくつかの仕事を経験した後に、何だかの資格を取るためにアメリカに留学しているという話。帰国した後に自ら会社を起こし、女性社長として活躍しているという話。テニスウェアの彼女しか知らない僕には何だか信じられないようなことばかりだった。

そのうちにさらに驚いたことには、時たま彼女の姿をテレビで目にするようになった。経済界注目の若手女性起業家、はたまた経済界のアイドルとして注目されているらしかった。十数年振りに見た彼女はかっちりしたビジネススーツにきっちりしたメーク、いかにもキャリアウーマン然とした容貌で、僕の覚えている昔の面影をさがすのは難しい気がした。ただそのちょっと舌足らずのしゃべり方だけは記憶に残っているものだったが。

「A子ちゃんの会社もさあ、ああやってテレビでちやほやされてるけど、あの業界も浮き沈みあるし競争激しいから内実結構キツいと思うよ。ウチみたいな大手と違って、まあ名前がちょっと売れて来たって実質中小企業に毛の生えたようなもんだし、社長自ら営業に駆け回ってるんじゃないの。案外肉弾営業なんてやっちゃってるかもよ、ひっひっひ。」

このわけ知り顔でいらん解説してくれる奴は、大手商社にコネで入ったという噂の同級生。会う度にもったいぶって名刺をくれようとする奴だ。大手商社の新しい肩書きをその都度自慢したいらしい。こいつが僕にA子のブロマイドを作らせた奴、A子に言い寄って討ち死にした一人だ。別の場所では「今注目の○○社のA子っているじゃない。彼女僕の同級生なのよ。だから時々経済情勢についてアドバイスを求められたりするわけよ。」とか言ってるに違いない。そういう奴だ。

大手商社の言うことを真に受けたわけでもないが、僕には彼女が随分と遠い存在に感じられた。僕はといえば卒業後に地元唯一と言われるまあ大手のメーカーに就職し、研究部門に配属されてずっと同じ建物で同じ作業服を着て働く日々だ。経済界注目の女性社長なんかには縁もゆかりもない毎日、彼女の話を聞くだけで何か気後れのようなものを感じるのだった。

「A子ちゃん、昔と全然変ってないよ。昔のまんま、すっごい良い子。」これはさっきの「風の噂」のB子だ。

高校時代、A子は男子にはもちろん絶大な人気だったが、その八方美人ともいえる性格が災いしてか、女子には特に仲のいい親友はいなかったようだ。逆にアンチのグループは確実に存在した。そりゃ彼女一人が男子の人気をさらっていれば面白くもなかろう。

B子もまたアンチ・グループの一人だったはずなのだが、今ではいつのまにやらA子シンパに変身したらしい。まるで高校時代からずっと親友だったと言い出しかねない勢いだ。やれやれ女の友情というのはよくわからないものがある。

このB子、地元に就職して地元のちょっと老舗の跡継ぎと結婚し、同窓会の万年幹事となっている。おかげでA子だけじゃなく同級生の消息にはやたらに詳しい。(まあこの街では他に楽しみがないとも言えるが。)

「A子ちゃんはね、あんなに忙しいのに同窓会の案内にはちゃんと返事くれるし、来られない時は必ずわざわざ電話してきてくれるのよ。とっても残念だって。」大手商社の言うことと違ってこっちはまあ本当だろう。実際その毎年の同窓会の何年かに一回は出席しているのだそうだ。僕はといえば卒業してから二十数年で出たのは二回だけ。「あんた地元にいるんだから出んきゃダメよ。」とB子に諭される始末。

さて彼女が若手女性企業家として注目されてから、はや十数年が経った。彼女の会社は「大手商社」の話とは逆に堅実に成長しているらしかった。最近も時たまテレビで彼女の姿を目にする機会がある。今では中堅の経済人としてワイドショーのコメンテーターなどに招かれたりもしている。コメント自体は特に切れのあるというものでもなく割りと月並みなものが多いが、彼女の相変わらず若々しく華やかな雰囲気が受けているらしい。以前のキャリアウーマン然としたちょっと気張ったきつい感じがなくなり、ずいぶん柔らかい印象になっていた。

B子から同窓会の案内状が届いた。「あんた地元にいるんだから出んきゃダメよ。」の書き込み入りだ。今年は久しぶりに出席しようかと思っている。

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