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2009年3月

2009年3月31日 (火)

悪い冗談

そんなわけで(どんなわけだよ?)、1985年以降松田聖子という人は僕の視界から完全に消えていた。
とはいえ、歌を聴くことはなくなっても、世間並みにいろんな話題はやっぱりどうしても耳にしてしまう。ジェフ君騒動やいろんなバッシング騒動はちょっと悲しかった。
そんな中で、悪い冗談としか思えないいくつかの出来事の記憶は残っている。
あれは何年の紅白だったろう。彼女がクマのぬいぐるみのリュックを背負って登場したのは。ママドルなどというあまりセンスがいいとは思えない称号が彼女に送られた頃だったか。この歳でもうぬいぐるみはないだろう。同い年の僕は頭がくらくらする思いでそれを見ていた。
今はちょっと違う気がする。
あの時彼女は、働く母としての姿を見せたかったのではないか。そしてそれは誰よりも、もうテレビを見てわかる年齢だったはずの我が子への思いだったのではないか。

デビュー20周年を記念して「20th Party」を出した時も、悪い冗談に思えた。

キャンディーズの微笑がえしかい!とつっこみたくなるのは当然だった。

コンサートのフィナーレの中で歌われるこの曲を聴いていると、今はそう悪い曲ではないと思うようになった。長く長く支えてくれたファンへの感謝、そんな曲なんだろう。

そしてもう一つ、「赤いスイートピー」という写真集。

なぜその歳で水着。。やっぱり悪い冗談にしか思えなかった。もちろん買おうとも覗こうとも思わなかった。

今は。。これはやっぱり悪い冗談のような気がするのだが、

でも見てみたい、ちょっとだけ。

2009年3月28日 (土)

戦う聖子

それで最近クルマでは「1992 Nouvelle Vague」を聴いています。

ジャケットがいいですねえ〜。(中島誠之助ふう)
80年代後半以降のジャケットは、僕的にはいかがなものかというのが続きますが、91年の「Eternal」、そしてこれはよいです。なぜか紙のパッケージになっていますが(この年代はこれが流行だったんでしょうか?)、裏ジャケ、中開きの写真、歌詞のブックレットの写真ともよいです。(篠山紀信に撮らせてはいけません。この前の婦人公論も紀信でしたけど。)
中身のほうは・・・
この年代は個人的には完全に真空地帯でして。そもそも、このあたりほとんど音楽自体を聴いていなかったと思います。
それはそれとして、この辺の年代に入ってだんだんレビューするのが難しくなってきました。80年代前半の曲は耳の奥底に染み込んでいるので、聴くといろんなものが蘇ってくるんですが、初見のこの辺はむずかしい。。
え〜と、クレジットを見ると、作詞は全曲聖子ちゃん。作曲は聖子&小倉良。アレンジは鳥山雄司となってます。
小倉さんはこれ以来なんでしょうかね。長い付き合いですが、現在に至る路線がこのアルバムあたりから始まったということでしょうか。
歌詞が。。
1曲目の「1992 ヌーヴェルヴァーグ」
    傷つけられ 血を流しても
    そう 素直に生きてゆきたい
    中傷など 耳をかさずに
    ただ 自分の道を信じて
ラストの「Fight and Believe」
    人生は戦場ね
    人と人が 傷つけあって
    誰もみな 自分だけ
    守るために戦ってる

すごい戦ってるんです、聖子ちゃん。
ニューヨーク行ってジェフ君の暴露本が出たのが90年ということなので、92年はバッシングの嵐だった頃なんでしょう。きっとアイドル時代にちやほやしてたマスコミや芸能レポーターの手の平を返すような仕打ちに傷ついていたんでしょう。
おれは付いていてやれなかった。ごめんよ聖子ちゃん。。

それはいいですか。すいません。
戦っていたのはそんなことだけではなかったかもしれません。

変らずに支持してくれるファンも大半はアイドル聖子ちゃんを期待している。だけど自分はもっと違う新しい世界、大人の音楽を目指している。そういう意味では自分を支持してくれる人々とも戦わなくてはならない。いやあ、つらいですねえ。

ですから歌詞もちょっと肩に力が入っちゃったかもしれません。

9曲目の「You wanna know my name?」

いやあ、ここまで直接的にエロいのは、僕はちょっと・・・

大好きです。

この曲での声の使い方のエロさ、天才です。

ということでもうしばらくクルマで聴いてます。(家では聴けません、はい。)

2009年3月26日 (木)

チェリーブロッサム

あけましておめでとうございます。
あ、すいません。Count down LiveのDVD見てたもんですから。
なかなか見る時間がなくて、ようやく見ることができました。といってもまだDisc1。

なんというか、まあいろんな意味でほっとしました。ウチの方は今日は雪になりましたが、気分はチェリーブロッサムです。僕もまた明日から頑張ります。

2009年3月23日 (月)

秘密の花園2

東京の桜はもう開花したんでしょうか。

続きです。

************************

九段下の駅でみちると落ち合ったのはもう十時近かった。靖国の方向に歩いて行くと、夜桜見物を終えて帰る人並みのほうがずっと多かった。
それでも久し振りに会ったみちるは妙ににこにこして、並んで歩き出すとおれの腕につかまるように腕をからめてきた。仕事帰りのみちるはえりの付いた白のスーツを着ていたが、それにしてもスカートは相変わらず短い。
「今年はお花見なんてできないと思ってたからうれしいの。」
そいつは良かった。

「あ、武道館。久し振りに見たわ。あたし、あのタマネギみたいのが可愛くて好きなの。」
それはよくわからん。

千鳥が淵の桜並木は満開だった。ライトアップされた桜の花が水面にも映っていた。さすがにこの時間花見の人もまばらになっていた。

「きれいね。」みちるが言いかけた途端に、ライトアップの照明が順番に消えていった。もう時間らしかった。「ああん、もうおしまいなの。残念。」

向うにボート乗り場が見えた。「あれに乗るか。」

みちるの手を引っ張って、営業を終了したボート乗り場に行った。ライトアップよりずっと早く終わるらしく、乗り場には全く人影がなかった。

「もうやってないわよ。」

「大丈夫さ。ちょっと借りよう。」

ボートは一応チェーンでロックしてあったが、旧式のいかにも開けてくれという錠が付いてた。これなら外人傭兵部隊じゃなくてもすぐはずせる。

「こういうのは得意なんだよ。南米のゲリラ戦でよく舟盗んだからな。」

二人でボートに乗り込んで千鳥が淵の水面に漕ぎ出した。

オールを持ってるおれの向かいに座ったみちるは、最初スカートを気にしてるみたいだった。確かに太ももはばっちり、その上も何だか見えそうだ。おれが太ももに目をやりながら、
「その格好で編集部で働いてるのか?」と聞くと、
「うん、作家の先生とか評論家の先生とか、この方が受けがいいのよ。みんなおじいちゃんだけど。」いや、おれも同感。

桜の花びらが水の上にところどころ花吹雪みたいに浮かんでるのを横切って進んでいった。堀の中程まで出ると、両岸の桜がライトアップとは違ってぼんやりと白い光を放っているように見えた。気がつくと月が明るい夜だった。ちょっと神秘的な感じのする眺めに、二人とも黙って見入っていた。

「なあ、チューしていいか。」

「もう!全然ムードないのね。今どきチューなんて誰も言わないわよ。」

ダメもとで言ってみたがやっぱりだめか。。

おれはみちるに話があるのを思い出した。

「しばらく中東に行くことにした。」

昔の傭兵時代の仲間が中東で死んだ。国連の平和維持活動の現地スタッフとして働いていたらしかった。酒と女が大好きでいつも冗談ばかり言ってる奴だった。そして戦場で2回おれの命を救ってくれた。日本でビールをおごる約束は果たせなくなっちまった。

あいつが中東で何をしようとしていたのか、自分の目で見に行くことにした。書きかけてた小説にけりも付けたし、連載も何とか整理した。池辺には苦労をかけたが。

みちるはおれの話を瞳を大きく開いて聞いていた。

「どのくらい行ってるの?」

「わからん。行ってみて考える。」

「いつ出発なの?」

「来週には出るよ。」

「そう。」

みちるはちょっと黙り込んだが、また口を開いた。

「ねえ、ケンちゃん。あたしに待っててほしい?あたし待ってたほうがいい?」

みちるがそんな事を言うとは思ってなかったんで、ちょっと焦った。実際どうなんだ、おれ?いや、こんな時は正直に言ったほうがいい。

「待っててくれ。必ず帰る。待っててくれ。」

みちるはまた笑顔に戻った。

「じゃあ、待ってる。キスはその時までお預けね。」

ちぇ、正直に言わないほうが良かったか。

まあいい。まだ夜は長い。おれは入り江みたいになってる奥まったほうに向かってオールを漕ぎ出した。

(おしまい)

2009年3月17日 (火)

秘密の花園1

妄想に続編があるのも妙な話ですが、世の中には夢の続きを見られる人もいるそうです。すみません、初めての方は先に「Mermaid in blue dress」をどうぞ。

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手の怪我は治ったがあの後みちるには会っていない。あの小娘、電話ひとつよこさない。いや、確かにおれに「治ったら電話して。」とは言ってたが、考えてみるとみちるの電話番号を聞いてなかったのに気がついた。まったく。。
まあ、おれも長めの取材旅行やら何やらで忙しかった。原稿に追われてるのも相変わらずだ。と言ってみちるのことを忘れたわけじゃない。いや忘れられないと言ったほうが合ってるか。夢にまで出ては来ないが。
そんなわけで、気がつくと半年ぐらい経ってしまった。ああ、あのキャバクラには一度行ったな。逆に店長にみちるのことを聞かれて困った。
「ミシェルちゃん、結構人気あったんすよ。センセイ、どこ隠してんすか、教えてくださいよ。」っておれも知らないの、ホント。
いや、一人知ってそうな奴はいる。池辺だ。あいつ、みちるに就職を紹介するとかいう話だった。だけどなあ、あいつに聞くってのもなあ。自分の愛人の居場所を担当編集者に聞くってのも妙だよな。第一あいつには弱みを握られたくないんだよな。くそっ、背に腹は代えられんか。
「池辺ちゃん、あのほら、リッツセントラルでおれが骨折した時のあの娘、みちるどうしてる?」
池辺の目が一瞬点になった。が、すぐにいつものくそ真面目な顔に戻って、
「ええ、就職先紹介しまして、そのままずっとそこで働かれてるはずですが。」

池辺が紹介したのは、こいつの会社の関連の雑誌編集部だった。ちょいと硬めの老舗月刊誌。おれの小説なんか絶対に載らないところだ。

「いや、最近しばらく会ってないんだけど、携帯換えた時にあいつの番号消えちゃってさ。」なんて下手くそな嘘だ。携帯なんか換えてねえし。

池辺は自分の黒い手帳を引っぱりだした。「ええと、ああ、ありました。でも家の電話ですよ。」ああ、それでいい。

**************************

夜に電話した。

「はい、松平でございます。」年配の女の声、げっ、家の電話って実家なのか。

おそらく母親だろう。典型的な山の手のアクセント、ほんとうにいいウチの品のいいしゃべり方、おれの一番苦手な相手だ。背中から汗が噴き出してきた。

「あ、はい、夜分恐れいります、ワタクシ著述業をやっております・・・」ダメだ著述業はかまずに言えたが、声が完全に裏返りそうだ。

「あら、先生のご本はいつも読ませて頂いてますのよ。みちるですか。まあ、あの子ったら先生のお仕事もしてますの。家では何も言わないものですから。あ、ちょっとお待ち頂けます、ちょうどお風呂から上がったようですから。」

お母さんが読者で良かった。山の手の奥様も「落ち武者自衛隊」読んでくれてるのか。

「あら、ケンちゃん。いやだわ、お風呂入っててまだ髪が濡れてるのよ。」

みちるの声だ。つい昨日会ったような調子でしゃべってる。でも、あいつこんなに色っぽい声だったか。

「全然電話もくれないからどうしたのかと思っちゃった。どうしてたの。」

いや普通に取材行ったり原稿書いたり。

「実家なのか。」

「そうよ。言わなかった?」

まあ、聞きもしなかったが。だけど、松平って。

「そう、時代劇みたいでしょ。だから嫌なの。」

なあ、静岡のほうに親戚いないか?

「え、親戚はあちこちいっぱいいるけど、よくわかんないわ。なんで?」

いや、別に。。

「ねえ、それより何?急に電話くれたりして。もしかして、ウチの雑誌に売り込み?ケンちゃん、なんかウチではすごく評判悪いわよ。」

まあ、前にいろいろあったしな。いや、そんなことじゃない。

大体おれ何でみちるに電話してんだろ?

「お花見しないか。ちょうど満開だぞ。」自分でも予想しない言葉が口から出た。

「いつ?」

「明日の晩。」

「仕事いつも遅いのよ。」

「いいさ、遅くたって。じゃあ、明日な。」

待ち合わせの約束をして電話を切った。携帯を持ってる手にやたらに力が入ってたことに気がついた。花見か。。。

(先の展開が見え見えですが、続きます)

2009年3月16日 (月)

Nouvell Vague 250!

Amazonからいろいろお知らせが来るので、つい2008-2009のCount downのDVDをポチッと予約してしまいました。
これがまだ届く前に、25thアニバーサリーのDVD BOXをマーケットプレースで購入。中古品のはずでしたが、まだピンクの箱にラップフィルムがかかっています。もったいなくてまだ開けてません。
CD選書で「Windy Shadow」と一緒に「Citron」を買ってたたのですが、ようやく「Citron」に手をつけました。う〜ん、問題作か、と思ってるそばから、近所のBook Offで「1992 Nouvel Vague」を発見。なんと250円!即救助しました。
ジャケットがいいですねえ。なんでこんな値段なんだろう。それにしても、聖子ちゃんのCDはこれ1枚。聖子ファンは愛着があって売れないんだよ、きっと。。
でもこれを聴く前に、LDプレーヤーと一緒にゲットしたLD「Seiko 96-98」を見なくちゃ。プレーヤーとLD自体の耐久性に不安があるので、これをDVDに焼き直して、と。これがまた結構手間がかかるんです。
ああ、完全にオーバーフロー状態。。

2009年3月11日 (水)

エージング

LDプレーヤーは落札できたものの、SeikolandのLDは予想より値段が上がってしまい、入札できませんでした。。。

47歳です。

去年の春から再び松田聖子を聴き始めたのですが、最初は80年代前半と最近の声のギャップをなかなか受け入れられませんでした。声は低くなり、高音はなんだかずいぶん辛そうになりました。歌手というのは一種のアスリート、いかにジーコやロナウジーニョのような天才でも永遠に輝き続けることはできないのか、などと思いました。

その後結構いろんな年代の聖子ちゃんのCDを聴くうちにちょっと見方が変わってきました。

日本酒はやはり新酒が一番、古酒はどうしても味が落ちて来るのが普通。でも古酒の味わいを珍重する通もいるとか。ウィスキーやワインはヴィンテージほど価値があがります。ヌーヴォーは酒としての味わいから言えばきちんと熟成させたものに遠く及ばない。

アスリートの場合は現在の一試合一試合が勝負なだけに、過去の栄光というのはあまり意味がない。どんなに過去に素晴らしいパフォーマンスを見せた選手であっても、今現在のコンディションが落ちてしまえば、やはり輝きを失ってしまいます。

その点アーティストの場合作品が残るわけですから、本人はやはり現在と未来に関心があるのかもしれませんが、ファンは過去の優れた作品をいつでも味わい賞賛することが出来ます。ヌーヴォーが良ければヌーヴォーを、ヴィンテージが良ければヴィンテージをと好きな時に味わえば済む。どちらにもそれぞれの味わいがあります。

考えれてみれば、聖子ちゃんの声の変化は最近のことだけではなかったですね。2年目と3年目では声変わりというくらいに変化しました。結婚後の復帰以降も変わりました。彼女はその都度、その時の声に合った歌い方を見つけ出してきたのだと思います。今年もまた47歳の声を生かす歌い方を聴かせてくれるでしょう。今までにもう普通の歌手の何倍ものヒット曲も名盤も残してくれています。もう彼女自身が歌いたいもの、歌って楽しいものだけを歌ってくれればいい。

それにしてSeikolandが気になる。「レモンの季節」も。それで結局DVD BOXに逝ってしまいました。LDプレーヤーはどうする。。
3月10日は聖子信者にとってクリスマスのようなもの、まあいいじゃないですか。(意味不明)

2009年3月10日 (火)

3月10日

Happy birthday.

「今のお前が幸せでいてくれりゃあこんなうれしいことはねえ。」

2009年3月 9日 (月)

永遠のアイドル

出掛ける途中にコンビニに立ち寄ったら、「婦人口論」、じゃなかった「婦人公論」の表紙が聖子ちゃんでした。つい、立ち読み。。
で、帰りにやっぱり買ってしまいました。
なんだか女性誌を買うのも恥ずかしくて、思わず意味もなくサングラスかけてレジに行ってしまいました。何やってんだろう。
家に持ち帰ってヨメに見せるかもかなり悩みましたが、まあ表紙と聖子ちゃんの記事以外は読まないと思うので、さりげなくヨメに見つかりそうな所に置いときました。あきれられるのは一緒なんですが。

さてそのインタビュー記事、内容はあたりさわりのないもので、美容法は顔をよく洗うだけといういつもうちのヨメが激しく突っ込むお馴染みのコメントも。ただその中で、「アイドルと言ってもらえるのはありがたいけれど、自分ではアイドルと意識することはない。」というのがありました。これもまたいつも言ってることかもしれませんが、さすが本物のアイドルの発言です。

近頃はグラビアアイドルやらなんとかアイドルやら、アイドルという言葉がずいぶん安くなりました。本来アイドルとは一種の栄誉ある称号であって、人気を勝ち得た人だけが人からそう呼ばれるもの、けして自称するものではなかったはずです。芸能事務所に入ってちょっと写真撮られたぐらいの人が自称する職業名ではないのです。

そういう意味で聖子ちゃんの言語感覚は正しい、と感心したのです。

まあ、これももしかしたら今や古い感覚なのかもしれません。

もっとも言語感覚の正しさに対して、「かわいらしい服は好きだけど、40代の今さすがに無理があるようなものは避けている」というコメントも。表紙のこの服は無理はないのか?というのは議論になりそうなところです。いや、僕は全然OKですけどね。

明日は3月10日。

2009年3月 6日 (金)

レーザーディスク?

いや、CDだけでもまだまだ聴いてないのがたくさんあるんです。
この上、映像作品にまで手を出したら、泥沼にはまり込むのは目に見えてるじゃないですか。
でもね。
最近、動画サイトにVideo BibleがUPされてるのを見てたら、やっぱり「Seikoland」とか見てみたくなりますよ。
ネットオークションに出てるかな、と思って検索してみるとありました。
レーザーディスク!
いや、もちろんLDプレーヤーなんて持ってるわけないです。過去にも持ってたことないです。
でも、見たいなあ「Seikoland」。
プレーヤー、落札してしまいました。
いよいよ泥沼。。。

2009年3月 2日 (月)

ブルージュの鐘

いくら妄想でもこんなんでいいのか、と思いながらも書いてしまいましたので・・・

************************

アルバムの中の君の写真はいつも笑っている。
そう、これは君の一人旅のアルバム。ブルージュを訪れた時のものだね。あの時君はどうしてもブルージュに行きたいと言ったけれど、僕は仕事を休むことができなかった。いや、どうしても休めないわけでもなかったのかもしれない。でも君と一緒に旅行する機会はまたいつでもあると思っていたんだ。

ブルージュ。現地フラマン語の発音はブルッへに近い。13世紀に交易で栄えたこの美しい内陸の港街は15世紀以降には時代にとりのこされてしまった。赤レンガの建物や古びた運河といった風景は中世から止まった時間を映し出しているようだ。「死都ブルージュ」と言ったのはベルギーの詩人だったっけ。だけど君があこがれたのはただ美しい中世の町並みだったね。

君が訪ねたこの美しい街に、今僕は初めて足を踏み入れている。君と僕の間の時間差などこの街の時の流れからすれば一瞬のようなもの。君が見た風景とまったく同じ景色を僕は目にしているはずなのに、この街に君の痕跡を探すことはもうできない。

例えば僕は君が泊まったのとまったく同じホテルBourgoensch Hofに部屋をとった。運河沿いのこのホテルの外観はこの街の歴史的建造物に溶け込んでいて、小さな看板がなければホテルとは気付かずに通り過ぎてしまう。ホテルの女主人に君の写真を見せたけれど、肩をすくめてた。
「ごめんなさい。日本人の観光客はとても多いの。毎年たくさんの人が来てくれるから。」
無理もないけれど、君がここに泊まったのはもうずっとずっと前のこと。その頃はまだこの小さな街で日本人に出会うことはなかっただろう。今は世界遺産のおかげもあって、日本人の観光客もすっかりお馴染みになった。そう、僕も含めてね。

宿を出て君のアルバムに写っている街のあちこちを訪ねて歩いた。

君が楽しい思い出で語ってくれた絵描きのおじさんがいた橋。この街にはあきれるほどの橋があるけれど、君の写真と比べながら歩いて、わかったよ、君の橋が。もちろんもう絵描きのおじさんはいなかったけれど、代わりに若い女の子がデッサンしていた。僕らが話しかけたらきれいな英語で答えてくれた。
君が道を聞こうとしたマーケットは、道を聞くまでもなく橋からすぐ近くだったよ。教会の塔を目指して行けばその前の広場がマーケット広場。ちょうど市場のある日だったから、たくさんの露天が並んでいて、大道芸のパフォーマンスまで見られた。
広場には相変わらず街を巡る馬車も客待ちをしていた。君はあれに乗ったんだろう。僕らは遠慮したよ。でも代わりに運河の遊覧ボートに乗ってみた。水の怖い君が乗らなかった奴だね。何も怖いことなんてないのに。静かな水の上をゆっくりゆっくり進むんだから。

そう、ベギン会修道院にも行ってみた。
帰ってきた君が夢見る乙女の目で「修道院のシスターも素敵ね。」なんて言うもんだから、僕が笑うと君は怒ってたけど、君には修道女は似合わないよ。サウンドオブミュージックのマリアみたいなのは映画の中だけさ。

旅から帰った君は、僕に写真を見せながらひとつずつ説明してくれたっけ。君はよほどブルージュが気に入ったみたいで、僕らのハネムーンも絶対にまたブルージュに行くと言っていた。

だけど、それは叶わなかった。
君はあまりにも早く、あまりにも若く、永遠の時間の国へ行ってしまった。

僕の傍らには今、僕の妻となった人がいる。君の妹だ。君を永遠に失ってしまった後、僕の心を癒し僕を励まし僕を生かしてくれた人だ。だから僕は君のことはもう忘れて、彼女のために生きなければならない。僕と同じぐらい君を愛している彼女のために。そう、それはわかっているのに、なぜ僕はこの街に来たのだろう。

夕暮れが近づき宿に戻ろうとした時、鐘楼の鐘の音が聞こえてきた。旅から帰った君が「ディンドンディンドン」と口でまねしてくれたあの鐘楼だ。悪いけれど君の口まねは全然似ていなかった。カリヨンの音色はいろんな音が混じり合いもっとずっと複雑で微妙だ。今はこの鐘楼も世界遺産の一つになったんだよ。ブルージュの鐘楼はなかでも教会の塔という以上に鐘を鳴らす目的のために作られたような形をしている。そしてここのカリヨンの音色は他のどの街よりも美しい。
だけどどうしてだろう。鐘の音を聞いた瞬間に、君の想い出の全てが僕の中から吹き出してきたんだ。
妻の前で僕は、君の想い出の鐘の音を聞き涙がこぼれるのを止めることができないでいる。こんな僕を彼女は許してくれるだろうか。そして君は許してくれるだろうか。

この街に流れた時の長さに比べれば、僕たちの生きた時間などまるで瞬きの間。僕が君のところに行けば永遠が待っている。だけど今はまだ、君のいない一瞬の連続を生きなければならない。

(終わり)

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