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2008年11月

2008年11月27日 (木)

1981年の革命

最近TVを見ていたら、京都の大山崎山荘を紹介する番組に財津和夫センセイが出ていました。財津さん、かっこいいですね。こういうオトナになりたいなと思ってはいるのですが。。

財津センセイの聖子ちゃんナンバーは名曲揃い。「チェリーブロッサム」「夏の扉」「白いパラソル」のシングル三部作もさることながら、「流星ナイト」や「星空のドライブ」、「Love Song」も財津さんでした。ああ、「未来の花嫁」もですね。

そんなわけで財津センセイはチューリップ以外にソングライターとしても大家であるという印象を持っていたのですが、Wikipediaを引いてみたら確かにたくさん曲提供はされているのですが、聖子ちゃんナンバー以外ほとんど知らなかったので逆に驚きました。いや僕だけじゃないと思います。財津さんの曲で売れたのはチューリップと聖子ちゃんだけ、というと言い過ぎでしょうか。きっと聖子ちゃんに足を向けては寝てないでしょう。

それはともかく。

初期のアルバムを聴いていて、比較的苦手なのが「Silhouette 〜シルエット〜」でして。個人的な好みといえばそれまでですが。ですが、次の「風立ちぬ」との間に何か断層がある、あるいは「風立ちぬ」で一つの革命が起った、そんな風に感じています。大げさに言えば「歌謡曲」が「J-POP」に変わった瞬間ではないかと。

そういう意味では「シルエット」は革命前夜であったわけです。「SQUALL」と「North Wind」で素晴らしい仕事をした小田・三浦コンビにもさすがに疲れが見えた。例えば「Je t'aime」、ロック系のパワフルなナンバーですが、聖子ちゃんの歌は珍しいほど感情が入っていないようです。しかしこのほとんど意味不明(シュールと言ってもいいかも)の歌詞ではさすがの聖子ちゃんも感情のこめようがなかったのでしょう。「花びら」はほとんど山口百恵をパロっているとしか思えない歌詞で、これはこれでそう思って聴けば興味深いナンバーではあるのですが、反面これでいいの?という感じも拭えないわけで。そんな中では「チェリーブロッサム」と「夏の扉」の二曲が光っているのですが、それ以外の財津ナンバーはというとどうも小田・三浦コンビの不調に付き合ったような前時代的フォーク歌謡になってしまっている感があり、「白い貝のブローチ」で登場した松本センセイもまだ、その後の革命を予感させてくれません。そんなわけでアルバムトータルの印象として、聖子ちゃんどこへ行くの?という危機感を感じてしまうのです。

その危機感は「風立ちぬ」によって革命的に解消されたわけです。その革命はもちろん大滝師匠と松本センセイによって担われたということなのですが、不思議なのは財津さんがその革命をしっかり生き抜いて、「流星ナイト」や「白いパラソル」で革命後の世界の住人に成りきっていることです。カメレオンというか控えめな天才というべきでしょうか。

「風立ちぬ」のラストは「December Morning」。フォークの香りを残しながらも僕のツボの一曲。これも財津さんです。もうすぐ12月、もう滑れるところもあるようです。

2008年11月24日 (月)

風は秋色

連休にこんなもの書いてるとよほどヒマだと思われそうですが、大雪で大変だったんですから。

「風は秋色」は名曲です。

(ここから妄想)

僕の名前は田沼雄一、京南大学ヨット部のOB兼コーチだ。現役の時は470乗りだったが、卒業して就職してから念願のクルーザーを手に入れた。といっても中古の小さな艇だがともかく自分の艇だ。
そんなわけで休日の全てを海に費やしてる僕にはまさに「海が恋人」ってわけだ。
だからといって別に彼女が欲しくないわけじゃない。実は今年の夏、ヨット部の合宿で伊東に行ってた時、かわいい女の子と知り合いになって、いい線行きそうな感じだったんだ。彼女、名前はのりちゃん、法律の法と書いてのり子と読むと言ってたな。色の白い子で最近の流行歌手みたいなはやりの髪型がよく似合ってた。友達と3人で僕らが合宿してる宿の近くに泊まってたんだけど、ヨット部の練習を珍しそうに見てたから、ヨットの事とかいろいろ教えてあげて結構仲良くなって、合宿の打上げにも来てくれたんだ。

だから帰りは僕の艇に乗って行かないかって誘ったんだけど、なんだか急に態度がよそよそしくなって結局電車で帰っちゃったんだよな。打上げの時に青大将も来てたから、あいつが何か変なこと言ったんじゃないかな。あいつ知らんぷりしてるけど今度会ったらとっちめてやるぞ。

結局のりちゃんとはそれっきり。住所も電話番号も聞いてないから連絡のしようもないんだ。

それが今年の夏の話なんだが、この前ヨット部の部室に行ったら僕宛の手紙が届いてるって渡されたんだ。「京南大学ヨット部 田沼雄一様」宛だから大学に届いてたんだ。マネージャーの江口の奴がにやにやして僕の顔を見るから何かと思ったら、のりちゃんからだった。

封を切って手紙を読んでみたんだけど、夏の伊東は楽しかったとかとりとめもないことが書いてあるだけなんだ。それとあとは押し花をカードにしたのが1枚。フリージアって花らしい。消印は軽井沢だし、住所も電話番号も書いてないから返事の出しようもないじゃないか。まったく女の子ってやつは。。

それでこの連休、自分の艇でまた伊東に行くことにしたんだ。もう海は観光シーズンじゃないし、またのりちゃんが来るわけはないんだけど、何となく気になってしょうがなかったんだ。

風向きが悪くて葉山から伊東まで行くのはちょっと苦労した。やっぱり夏とは風が違う。まあこれも海の楽しみだけど。

伊東についてマリーナに係留した後、特にあてもないけど合宿の時にお世話になってる宿に挨拶でも行こうと陸に上がったんだ。

そしたら何だかこっちを見てる女の子が一人。

「田沼さん!」

「のりちゃんじゃないか!」

「どうしてここに?」

「そっちこそ。軽井沢から手紙をくれただろう。住所も何も書いてないから返事も出せなかったじゃないか。」

「あら!そうだったかしら。私ってそそっかしいの。ごめんなさい。」

そしたら彼女急に笑い出した。

「田沼さんのそのジャケット、今の季節じゃもうちょっとおかしいわ。いくら海の男だって。」

僕は夏に着てたマドラス・チェックのジャケットを着ていた。実は彼女の手紙に、もうこのジャケットしか覚えていないとか書いてあったから、気になってこれを着ていたんだ。ここで再会できるとは思ってなかったけど、やっぱり期待していたんだろう。もちろんそんなことは言えないけど、ちょっと顔が赤くなったかもしれない。

「そうかなあ。それより今度こそ僕の艇に乗って行かないか。食料もビールもたっぷり積んであるんだ。」

のりちゃんはまぶしそうな目をして小さくうなずいた。ヤッホウ!

(おしまい)

2008年11月21日 (金)

クリスマスの夜

11月からクリスマス気分を始めるようになったのはいつからだったろう。何でも早ければいいってもんじゃないと思うんだが。

近所の本屋に立ち寄った時にCD売り場をのぞいてみたら、聖子ちゃんの棚にはたった1枚だけ、「クリスマスの夜」が置いてあった。初回限定版。

1680円か、安いなあ。ミニアルバムか。と思ったらシングルだった。

一年前のシングルの初回限定版が残っているのを見たら不憫に思えてつい救出してしまった。まあ、DVDが見たかったんだけど。

で、まだCDは聴いてませんが、DVD。クリスマスで犬つれて買い物に行って、クリスマスグッズとか買って帰ってきて、料理とケーキ作って誰か待っているというそういう設定です。なんてことないけどハピネスです。

アマゾンのレビューでどなたかが書いてましたが、曲が終わった後のトレーラーってのその最後のガッツポーズというかグーってのがグーです。

聖夜の子と書いて聖子、ですから。

でもやっぱりクリスマスは12月に入ってから。12月になったら「金色のリボン」について書きたいと思います。

2008年11月17日 (月)

Eternal

今聴いているのは「Eternal」です。今回は450円(送料別)でした。

Eternal2 このアルバムはジャケット写真が最高です。表ジャケも肩の関節のところが透け透け衣装を通して見えたりするのですが、
特に中に入ってるブックレットの裏がこの白い背中。
たまりません。。。


ジャケット写真ばかりではなんですから、中身についても。
1991年の誕生日に出たこの洋楽カバー・アルバムは「ニューヨークで生活している時に耳にしてとても好きになった曲に日本語の詩をつけSEIKO MATSUDAのオリジナルとしてレコーディングしたもの」だそうです。カバー曲をオリジナルといえるのかはともかく、日本語詩にはSeiko Matsudaがクレジットされています。

ともかく、1990年の「Seiko」に比べれば格段にこちらのほうがいい出来と思います。

声が濡れています。

日本語じゃないとやはり声に気持ちが乗らなかった、のか。

というのもありますが、英語で歌っている最後のマドンナの「Crazy For You」も良いと思います。マドンナより良いのでは。というかマドンナあんまり聴いてないので。

一方、Banglesの「Eternal Flame」はオリジナルを結構聴いていたので、ちょっとつらいかなと。でも何回か聴いてると聖子ちゃんバージョンも「過剰な感情表現」がやっぱり素晴らしい。

これを聴いていると「Seiko」は楽曲がしょぼかったのかな、という気がしてきます。曲に文句はあまり言わない聖子ちゃんだろうと思いますが、「こういうレベルの曲があればこれぐらい歌える」というアピールがこめられた「カバー・アルバム」だったのではないか、なんて勘ぐり過ぎでしょうか。

この時29歳。

2008年11月13日 (木)

久留米

出張大変だったね。
お疲れ様♡

なんて聖子ちゃんに言われてみたいもんですね。。。

とか打ってたらヨメサンに見つかりそうになりました。やばい。

え〜と、久留米について。

月曜日のHey-Hey-Heyは録画で見ました。

大西賢示さんと衣装のチェック柄がかぶってたのは聖子ちゃん的にはどうだったんでしょう。

それはともかく、今年のコンサート・ツアーの九州弁MCが紹介されてましたね。

DVDで既に見てたので、まあ意外性はなかったのですが。

結構若い時から久留米弁トークは披露してましたね。

その時に「福岡弁」とは言わずに「久留米弁」と言ってました。

新人時代に出身は?と問われると必ず福岡とは答えず、「久留米です!」と言ってましたね。

以下、司馬さん風に。

久留米といえば松田聖子のことが思われる。蒲池法子、後の松田聖子を育んだ天地というだけで、いかにものびやかで暖かな風土が心象風景として広がってくる。現在では福岡県に編入されているとはいえ、ふるくは筑後国の国府が置かれ、維新後の廃藩置県では久留米県の県庁所在地であった。筑後の国の中心であるという矜持は世が変わっても人々の胸からは失いがたいものと思われる。そのような土地に住む人々は自らの出自にしろお国言葉にしろ、問われれば幾分か誇らしげに胸を反らして「久留米です!」と答えるもののようである。まことに端倪すべからざる土地と言うほかない。

蒲池氏は筑後柳川の戦国大名であり、後代でも久留米の家老職の家柄となればなおのことその郷土への敬愛は普段着のように身体になじんでいるものらしい。

司馬さん風になったかはともかく、松本隆の松田聖子の無国籍性(セイシェル、マイアミ、マンハッタン、コペンハーゲン・・・)とはうらはらに、聖子ちゃんはある意味久留米の広告塔でしたね。そのまんま聖子?

いまだ福岡はおろか九州の地すら踏んだ事がないワタシですが、行ってみたいなあ久留米。

2008年11月 9日 (日)

エージレス

前回は話が硬くなってしまいましたが。。。

Astalift アスタリフトのCMが新しくなっていました。
なんと今回は聖子ちゃんの温泉入浴シーン!(由実かおる?)
何だか、前のCMよりさらに若くなっているような。
浴衣姿もまた可愛らしいこと。

http://www.ffhc.jp/products/astalift.html

春にNHKのSONGSに出てた時のコメントでは、「身体しんどいのかなあ」という感じで、「ああ、オレもわかるよ。同い年だから」なんて思ってましたが、やっぱりこの人エージレスのようです。
「オレも頑張るか」とCM見てまたにやけているのです。

Love Song

あの時代、松田聖子はただひたすらに恋愛の歌だけを歌い続けた。恋愛へのあこがれ、恋の駆け引き、じれったい恋、幸福感、失った恋の痛みなどなど・・・
それを否定的に揶揄しているわけではない。むしろただひたすらに恋愛の歌を歌えた時代がいかに幸福な時代だったかを考えている。
1980からのエントリーを書きながら、自分でももうはっきり覚えていないあの時代の時代背景を少し振り返っていた。バブル前期のあの頃、高度成長期は既に過ぎ安定成長への転換が叫ばれていた。重厚長大産業こそ高度成長期の勢いを失ったものの、電子産業やハイテク産業は花盛りだった。
安保闘争や学園闘争の熱気は既に去り、大学はレジャーランドと言われクラブ活動やサークルでの実績のほうが就職で物を言うという雰囲気だった。
東西冷戦体制はいまだ継続していたものの深刻な緊張関係というよりは予定調和めいたものとなっていた。アメリカはレーガン大統領のもと、まさに我が世の春を謳歌していた。ベトナムの傷も癒え、強いアメリカの未来を妨げるものはもう何もないかに思えた。
日本もまたその強いアメリカと運命をともにすることに何の疑いも持っていなかった。

高度成長の時代が終わったとはいえ、日本はいまだアメリカを追いかけヨーロッパを追いかけて成長しなければならなかった。徳大寺有恒は「間違いだらけのクルマ選び」で1976年から、いかに日本のクルマが欧州車に比べてまだまだかを叫び続けていた。糸井重里は1983年に「おいしい生活」を掲げ、世の中全体がもっといい暮らしを信じ求めていた。素敵なリゾートでの休暇はまだ手の届く少し先だった。

音楽でいえば、主流はいまだ「歌謡曲」であったが、若者の求めるカッコイイ音楽は「洋楽」つまりアメリカのロックやポップ・ミュージックであり、日本の「歌謡曲」は「遅れた」ものと認識されていた。そして「洋楽」を追いかけて「ニュー・ミュージック」という意味不明なジャンルが新しいメジャー・プレイヤーとなっていた。

松田聖子が現れたのはそんな時代だった。明日はもっと幸福になると信じ、平和と豊かさの中で愛し合うことだけを考えれば良かった。

その後、日本はバブル経済に突入した。リゾート・ブームは日本中に乱開発をもたらした。世界中でブランド品を買いあさる日本人の姿は僕らの求めた豊かさだっただろうか。ベルリンの壁が崩壊し、パンドラの箱を開けたようにいろんなものが吹き出し、世界は混迷の時代を迎えた。

2008年、バラク・オバマがマケインに勝利。オバマは1961年生まれ。「聖子ちゃん世代」の大統領はどんなアメリカを作ろうとしているのだろうか。願わくばもう一度Love Songを素直に聴くことができる世界を。

2008年11月 6日 (木)

1985

この年のことは本当を言うとあまりよく覚えていない。

3月にはひろみ郷との破局会見。涙ながらに「生まれ変わったら一緒になろうねって約束しました。」と語った。リアルタイムでは見られなかったが、それでも何度かプレイバックでは見たような気がする。

ああ、聖子ちゃんやっぱりほんとにひろみ郷とつきあってたんだ・・・

というのと

ああ、でも別れちゃったんだ・・・

というショックとも失望ともつかない複雑な感情を味わっていたように思う。

それからいくらも経たない時に神田正輝との婚約。

僕にはもう何が何だかわからなかった。恋が終わった時の石のような心、だったかもしれない。

この年、僕は一年遅れで大学を卒業し、普通の会社に就職。独身寮での新しい生活を始めた。全てが初めての生活、聖子ちゃんどころではなかった。

1985

結婚を期に聖子ちゃんは芸能活動から去ると言うことだった。山口百恵の前例から、それは「美しい引退」であると誰もが理解していた。

「引退」前最後のテレビ出演。彼女は最後に「赤いスイートピー」を歌った。

歌の終わりに少しまちがえて「ごめんなさい」とつぶやき、そして「ありがとう」と言った。

僕はもうそんな番組があることすら知らなかった。

5年間で少女は普通の人間の何倍もの仕事をし、大急ぎで大人になり、そして僕らの前から去った。

同じ頃に僕はようやく「社会人」の入り口にたどり着いたばかり、中身はいまだ子供のままだった。

これで1980年からの僕の物語は終わりにしなければならない。もちろん松田聖子の物語は続いていくのだが、僕の時計が再び動き始めるのには2008年を待たなければならなかった。


2008年11月 3日 (月)

芸の力

この前テレビの旅番組を見ていたら、「天才少年女形」早乙女太一という人が出てました。素でご飯とか食べてる時は、まあ今どきの普通のやろっこですわな。それがきっちり舞台化粧してかつらかぶって着物着て出てくると、いや大したもんですわ。
身のこなしとか、目線の流し方とかまあその色っぽいこと。化粧も自分でやるそうで、自分のイメージ通りには出来てないからまだまだ、だそうで。やっぱ天才なんでしょうね。
それ見ててなんか近いなあと思ったのは、若い時の聖子ちゃんの「ぶりっ子」。当時はぶりっ子とずいぶん叩かれてました。今でいうとキャラ作ってる、ってやつでしょうか。でも今にして思えば3分間に歌の世界をドラマとして演じてた至芸でした。普段のトークの場面ではぶりっ子というよりは、がはは笑いのぶっちゃけた性格のほうが出てたようです。女性的なものを演じる、ということでは女形が女より女らしいとかいうのと同様に、男前の性格の人のほうが得意なのか、と思ったりします。

女形の芸は歌舞伎なんか代々継承されていくわけですが、聖子ちゃんの芸は一代限りの後継者なし。惜しいことです。

ところで年の割に若い、じゃなくて年を感じさせず若々しいと評判の今の聖子ちゃん(数年前より若くなってるような気がしますが、まあ素直に喜びましょう)ですが、まだまだ上手がいます。

吉永小百合さんはなんと1945年生まれですが、最新作では30代後半の設定だそうです。聖子ちゃんも後20年は大丈夫。頑張ってほしいです。

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